富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

『世説新語』~井波律子先生の『中国人の機智』より


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何だか、もう「コロナ慣れ」してしまつて感染者数とかに驚かなくなつてゐる。村上陽一郎『ペスト大流行:』ヨーロッパ中世の崩壊:岩波新書(黄版 225) を読んでゐるのだが「当時のペストに比べれば」と思つてゐる。当時のペストも元々は地域的な伝染病だつたのが大陸間の民族の大規模な移動や貿易の発展、十字軍などで深刻な疫禍となつたわけで現代の我々の世界的な移動では、いくら衛生環境が整つても何らかの伝染病が拡大してもおかしくないのではないかと観念してしまひさう。

コロナの死亡率「世界でこんなに違う」藻谷浩介(毎日新聞 いつも藻谷先生の冷静沈着なデータに基づく社会分析は目からウロコだ。

死亡率に立ち返れば、日本の水準は世界平均や米独に近いわけだが、検査率が相対的に低く、未発見の無症状感染者や治癒者も多いはずで、本当はもっと低いのではないか。実態はどの程度なのか。

一つの参考事例は、横浜港に停泊していたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の数字だ。乗客乗員3711人の全員が検査を受け、陽性判明者は20%、発症者は10%。死亡者13人は、陽性判明者の1.8%だった。

同船の重症者の受け入れを全国の病院が渋った当時に比べ、現在では各地に治療のノウハウが蓄積している。また船内で確認されたウイルスと、現在日本の市中にあるものでは遺伝子に変異が生じているが、最近の研究では、新型コロナの変異は毒性の違いを生んでいないという。乗客の多くが高齢者だったことも考えれば、若者も交ざる一般市中での本当の死亡率も、同じく2%を超えないだろう。

とすれば今後の日本では、検査が行き渡るほど死亡率は今の水準から下がる。高齢者の多い一般病棟や介護施設へのウイルス侵入を防ぐことができれば、陽性判明者がさらに増えても、死亡者は以前ほどは増えないという状況が続くのではないか。しかしそこに油断せずに、だが過度に怖がらずに、他人同士が密集した中では話さないなど、ポイントを絞った行動自粛を続けていくことが、当面の間、重要であり続けるだろう。

日本は感染は感染者数も抑へられてゐるが死亡率は外国に比べ低いといふのは正確ではないことがよくわかる。

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知り合いの叔母さまが自動車をどこかの駐車場で路傍の障害物に擦つてしまつたさうで自動車の側面でドアの下で目立ちはしないのだが塗装剥げてしまひ、そろそろ廃車も近い車なので自動車修理工場に出すほどでもない。ホームセンターで自動車メーカー純正の塗装タッチアップペイントを買つて来て、それを塗つてあげたら「お礼に」と布製マスクを塗つてくれた。アタシがいつも手ぬぐひをもつてゐるので、そのイメージださうな。
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上述で「タッチアップペイント」と綴つたが自分では意識してゐないが「最近どうも外来語書くときに言葉と言葉の間の・(中黒)を省略する人が多い」とピーター=バラカン*1氏が週末のラジオで言つてゐた。彼がそれをコメントしたのはリクエスト曲で「ワンスアポンアタイムインアメリカ」と書かれてゐて一瞬で読めなかつた、ということから。共同通信社の『記者ハンドブック』によると

① 単語の列記 テレビ・ラジオ ヤード・ポンド法

② 外国人の名前 サー・ウィンストン・チャーチル

③ 外来語の地名など原則として・を入れない エンパイアステートビル

  「・」を入れるのは

   固有名詞と普通名詞からなる語 ロックフェラー・センター

   3語以上からなる語 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

   長くて判読しにくい語 パ・リーグ ←逆に短くて判読しにくい例

④ 小数点の単位(縦書きの場合)

⑤ 省略符号 東京・神田駅前の居酒屋

⑥その他、判読しやすくするため トランプ・アメリカ大統領

いずれにせよ①を大原則とするなら、それと②以下にかなり矛盾もあり使ひづらい「・」なのであることは確かだらう。
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ホームセンターはお盆で提灯だとかローソクなど売つてゐるが「安心のお線香」には驚いた。「電子の火で倒れても安心!」ってそりゃさうだがアロマで白檀の香りとかはしないらしい。

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水戸の第一ホテル(上)は旅館ぢゃなくてホテルである。誤解がないやうに言つておくと旧市街に「本館」があり千波湖近くの大きな交差点に「別館」があり桜川岸に近い、ここは「新館」で見た目は新館ぽくないが3つの宿泊施設のなかでは一番最後にできたのだらう。高校生とかのスポーツ遠征とかで利用されてゐるらしい。

三国志』翻訳などもされてゐる中国文学研究の井波律子先生による。中国のこの東晋に続く南朝の時代、その政客文人の撚た言葉を広い了見から見事に、その世界を紹介で、これが井波先生38歳のときだと知ると驚くばかり。井波先生は今年5月に肺炎で逝去され享年七十二。それでどの新聞だつたか読書欄で井波先生追悼の記事あり『世説新語』と井波先生の世界を知り、この新書を市立図書館で借り出して一読。魯迅もこの『世説』を『中国小説史略』で取り上げてゐるのださう。陰湿な翳りのない彼らの語らひ。

彼らの感情のあり方といえば、凄まじく切れ味がよく、甚だ鋭角的なのである。そこにみられるのは、悲哀を乗り越え、憂鬱をはらいのけて、濁世にむかって強かに哄笑する逞しき群像である。地獄のような時間帯に行きあわせ、人の世の修羅の相をくっきりと脳裏に焼き付けてしまったこれらの人々は、いったん心情の極北にまで放逐されたことよって、事象をその裸形の相において透視しうる醒めはてた視点をわがものとした、それゆえにこそ、彼らは誰よりもよく笑い、また目が眩むほど憤りえたのである。彼らはいかなるものに対しても幻想を抱かず、自己存在を唯一の基点として、好きなものは好き、嫌いなものは嫌、嬉しいことは嬉しい、腹立たしいことは腹立たしいと、残酷なまでにはっきりと選別する……

なんて愉快なことか。

彼らは(乱世にあつて強大な権力の下)無力感に打ちのめされ、ひっそり閑と息をひそめ、おとなしく絶望のうちに自閉したりはしない。世説新語』の人々は、体制的秩序型の政治的人間の育成を究極の目的とする儒家思想の有無の倫理、煎じ詰めれば支配の論理に対する理念的否認をもつて表現しようとする。つまりは道家老荘思想の「無為自然」のラジカルな実践。彼らは、常識や世間的通念に反抗して、社会的にはなんの有効性もない愚行に身を委ね、勤勉のかわりに誇らかに怠惰を選びとり、あえて自ら非政治的・非機能的な無為無用の存在と化して、現世の束縛を振り切り、軽やかに思いのままに主体的に生きようとする。

いいねぇ、実にいいねぇ。もはや山下洋輔先生らの遊びの世界すら彷彿させる。

かくして竹林の七賢を初めとする『世説新語』の人々は、政治悪・社会悪への加担を拒否し、ただあるがままの自己存在を唯一の根拠に、時にはきわめて挑戦的に否認のポーズをとりつつ、現実社会を一気に超越して、人為を超えた自然、非現実の空間に遊ぼうとする。こうした世界観のもとで、抽象的な観念議論ー清談ーが大流行し、会話の中で機智的表現が重視されたのも、むしろ当然の成り行きであった。なぜなら清談はこのきわめて観念的な人々に、地上から無限に遊離し、架空の想念を弄ぶ無上の快感を与えるゲームであり、機智表現は、こわばった生真面目さを嫌うこれらの人々にとって、現実の力関係を度外視し、機智のもたらす笑いによって、それを一瞬逆転させる魔法の杖、に他ならなかったからである。

そして古典の教養を背景にしたパロディが生まれる。

現実の力関係で遥かに劣る者が権力者に対してなしうる攻撃・反撃(逆襲)は、けっして直接形ではありえない。直接攻撃は、たとえそれが言葉の刃であっても黙過されず、直ちに身の破壊に連なるからである。ここで典故の運用が威力を発揮することになる。権力者への避難攻撃は、典故によってオブラートをかぶせられ、間接化される。こうして、権力を撃つ者は、自らの立場を紙一重で危険から遠ざけつつ、暗示的に攻撃を敢行して、その目的を達するのである。

井波先生は、そうした知力と諧謔の精神を現代では毛沢東に見る。

誰でも事物を認識しようとすれば、その事物と接触すること、つまりその事物の環境のなかで生活すること(実践すること)よりほかには、解決の方法がない。(中略)知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨の味を知りたければ、自分でそれを食べてみること、すなわち梨を変革しなければならない。(中略)革命の論理と方法を知りたければ、革命に参加しなければならない。すべての真の知識は間接的経験をその源としている。(実践論より)

勿論、『世説』のさうした文人らの諧謔の精神は弱いもので、その弱さを魯迅は鋭く突き、それがいかにダメかを説いてゐるのだといふ。そのへんは魯迅もきちんと読まないといけない。ところで「小説」について。小説の真逆は「大説」で、それを国史など大きな物語だとすれば「小説家なるものの流は、蓋し稗官に出ず。街談巷語道聴塗説者の造る所なり」と。「王者は閭巷の風俗を知らんと欲し故に稗官を立て之を称説せしむるなり」。このような「小説」が支那のものであるとすれば日本で物語文学の土壌の上に西洋を見て近代の小説運動が起き、それが魯迅らを通じて中国の現代文学となつたのもわかるところ。

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*1:この名前だつてピーター・バラカンと書くのが普通かもしれないがアタシは本多勝一の『日本語の作文技術』を読んでから「=」を使ふやうになつた。