朝、郵便関係の用事を済ませて水戸駅を通り抜けると水戸線の小山行きに良いタイミング。駅ホームの駅そばは水戸だと納豆そばあり朝餉。下館まで小一時間。朝は曇つてゐたがすつかり青空。猛暑。岩瀬を過ぎるあたりから近くの低い山並みが途切れ筑波山がぐっと大きくなる。頂上付近の鉄塔がやたら大きいことで、この雄大に見える紫峰が標高でいへばわずか877mであることに気づかされる。岩瀬からはかつて筑波山の西をぐるりと回り土浦までの関東鉄道筑波山線が走つてゐた。高校生の頃これに乗り真壁から歩き筑波山北壁登攀(笑)して筑波山ユースホステルに泊まつた頃のこと思ひだす。土浦の親友H君と夜にユースホステル抜け出し関東平野の雄大な夜景を見下ろし、あれこれ語らひつゝの一服がどれほど美味かつたことか。そのH君も亡くなつて、もう二十年にならうか。
下館は水戸線を主に北は真岡から益子を抜け茂木までの真岡鐵道、南には取手までの関東鉄道常総線が走り今でも鉄道が賑やか。下館駅に停車してゐた常総線の列車はアタシも顧客の「クリーニング専科」のデコレーション。
今日はこゝから真岡線に乗る。1輛で客は3人ほど。典型的な地方の赤字私鉄のやうだが真岡線は周末と祝日にSL運行で観光的にも成功。ふと気づいたら県外への外出憚れられるなか茨城から県境跨ぎ栃木に入つてしまつてゐた。
真岡駅にはSLや昔の客車、ディーゼル機関車が並び鉄ちゃんには垂涎の聖地。真岡駅の駅舎はSLを模した巨大な建物で圧巻。益子駅も焼き物の名産地で駅舎にも陶芸施し旧駅舎の立派な木の梁の構造を残して立派なもの。益子は西明寺建立が行基によるもので天平の昔。だが益子焼は江戸期に笠間からのものだといふ。笠間と益子を40分で結ぶ連絡バスもあるが今は疫禍で全面運休。
益子駅前から猛暑炎天下を歩き始める。陶芸の里は随分と先で駅の貸し自転車調達すべきだつた。市中には辛うじて商店がいくつか並ぶが、その中に添谷といふ書店あり入り口に店主の趣味で古書サロンあり「これぞ」といふ古書がウソのやうな廉価。
梅雨入りも未だなのにもう真夏のやう。不思議な工房もあり。
益子でも評判の蕎麦屋は更に山里で自動車がないと行けぬやうな場所ばかり。その中で炉庵といふ手打ち蕎麦屋は猛暑でも何うにか歩いて行ける場所にあつた。酒は地元の外池酒造・燦爛。舞茸の天ぷらが500円なので、ほんの少しだと思つて注文したら。十割蕎麦。
ずつと草花になど目もくれず草花の名前も本当によく知らずにゐたが軒下の蓮にまで目がゆくとは年をとつたのかしら。陶芸屋の裏庭も手入れが実に見事。
陶芸屋を何軒か見てまはり駅に向かひ内町の通りを歩いてゐたら古い商家をそのまゝにした古書肆・内町工場あり。古家具、古道具なども扱ふ。賢治や足穂、熊楠などの空想、思想を具体的に空間にしたらかうなるのかしら?とぞく/\するやうな空間。
半日くらゐ佇んでゐたい古書肆なのだが時間もなく目に入つた数冊を購ひ駅に急ぐ。こちらも「うそだろ?」な廉価であつた。
益子駅から下館行きの上り列車に乗る。鉄道の聖地・真岡に寄ると後続の下館行きは、この時間は20分後にあるのだが、その後の連絡悪く水戸に着くのは1時間半も遅くなるのだが真岡で下車。右上の客車は北海道を急行ニセコで走つてゐた車両で真岡駅のSL96館にて参観。
ぴかぴかに磨きあげられた蒸気機関車。油のにほひ。
益子から乗つた列車は始発の茂木から学校帰りの高校生がずいぶんと乗つてゐたが20分後の列車は1車両で数名の客。 もう夕方なのだが強烈な日差し。下館で30分余の乗り換へ待ちで駅前の居酒屋に入る。昔なら何軒か小汚い赤提灯があつたものだが駅前の3軒ともチェーン店。暖簾をくぐつた一軒で生啤酒1杯だけでも失礼かと思ひ塩辛だけ頼んだら「お通しです」が盛りの良い金平牛蒡。その上、カウンターのお客様だけのサービスです、と厚焼き玉子まで出され恐縮。列車の時間気にしつゝ慌てたがフロア仕切るお姉さんに「列車のお時間ですね、お気をつけて」と送り出され「お通し」も今どきチャージされてをらずチェーン居酒屋も侮れぬもの。乗つた水戸線の列車は下校の高校生多く酒臭いオヤヂで申し訳ない。
益子焼といふと濱田庄司、魯山人の印象が強い。アタシは「あの世界」苦手。それが今ではずいぶんと洗練された陶磁器も多し。〈知床窯〉は本田剛嗣といふ陶芸家が知床と益子で製作続けてをり手にした「湯冷まし」が酒を注ぐのに良ささうで似合ふぐい呑みもあり入手。これで酒を飲んでみると湯冷ましの滴の切れも実に良い。日本のメロンも実に美味い。
益子の添谷書店と古書・内町工場で六冊千円。牧野博士の『原色野外植物図譜』は戦時中に立派な製本だが書店カバーかけてあり、これが戦前、銀座にあった美術書籍・三昧堂のもの。この本を大切にされていた方が「牧野野外植物図鑑」と書店カバーの背表紙に書いている。 内町工場の若きご亭主も、書店カバー外すと、それ以上に破れさうなのでカバーそのまゝにしてゐたといふ。かういふところに関心のある方に本を求めてゐたゞけるのが嬉しいと仰られる。
この三昧堂の書籍カバー、旅先での風景の文人画。美術書で評判だつた三昧堂のカバーに使はれるほどなのだから余程の文人のものでないと。田んぼの向かふに寺院と五重塔。斑鳩で法隆寺かしら……とすると和辻哲郎か?と思つてはみたが確かではない。