富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

寺子屋


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香港のDES試験の政治的偏向を叱る大公報は今日は、その内容が日本の中国侵略美化ださうな。

文憑試歷史科昨舉行,卷一第二題涉及20世紀上半業中國和日本關係,引述三項資料,包括黃興代表民國政府於1912年寫給日本政客井上馨籌措資金的一封信,內容提及國民政府要求日本洋行贊助革命軍反清事業。其中一條問題要考生回答是否同意「1900至45年間,日本為中國帶來的利多於弊」並解釋。

史実のデータ見せ複眼的に何ふ分析するかの技術。このあたり陶傑先生が口を酸っぱく「もう一つの史観」説いてゐるが。蘋果日報は香港警察退職者が9月立法会選挙投票所の開票人員に多く応募で今から集計不正あるのでは?と疑ふ。 

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▲きちんとした暴力の力加減もわからず暴力行使する場合の冷静さ、勇気もない輩が暴力を振るふと狂気になる。この警官の表情、開ききつた瞳孔、胡椒スプレーの乱射……あまりの臆病さ。こんな連中が合法的に暴力を振るふのだから怖い。

▼先日、NHK教育〈にっぽんの芸能〉で見た播磨屋の〈寺子屋〉昨年九月の秀山祭。松王丸の泣き笑ひ。これについて築地H君とあれこれ話す。「倅がことを思ふにつけ桜丸が不憫でござる…」の場面。源蔵の前で息子のことで涙流すは憚られ殊更に桜丸引き合ひにだし……と、てつきりさう思つてゐたが、これは現代的な解釈か。松島屋は違ふと断言してゐるとH君。十五台目松島屋芸談〈寺子屋〉

我が子の最期を聞いた後に「桜丸が不憫でござる」と言って泣く。それで桜丸にかけて我が子小太郎の死を嘆いているんだとおっしゃる方もおられますが、それは間違いで完全に桜丸の死を嘆いて大泣きします。本文も「さすが同腹同性を忘れ兼たる」となっています。我が子の死を悲しむのなら、義太夫の文句が変わるはずです。

なるほど。桜丸は「さすが同腹同性を忘れ兼たる」で松王丸にとつては三つ子の弟の桜丸=自分だと思へば、そこまでの思ひ入れあつても当然か。これについて高麗屋白鸚芸談〈寺子屋〉 は「高麗屋らしい」折衷案で現代的解釈か。

泣いている型ではなく、松王丸という一人の男が泣いている。自分の子と、自分のように御恩返しができなかった弟の桜丸、二人を思ううちに泣けてしまったという演じ方を工夫しているところです。息子の健気さと桜丸の無念さ。息子と弟で悲しみが倍になり、大の男が泣いてしまう。

そして六代目芸談〈寺子屋〉文化デジタルライブラリー には「一説には」とあるのだから当時でも、さういふ(桜丸のことだけではないといふ)解釈もあつたやう。

「桜丸が不憫でござる」というところがありますね。一説には必ずしも桜丸の事ばかりに、就かなくてもいいといわれていますが、私はやっぱり桜丸の事を思い出して泣くことにしています。それには普通「ご恩も送らず先立ちし、さぞや草葉の蔭よりも、うらやましかろけりかろ」のところの間で、チンと絃に受けさせているのを、私は「うらやましかろ、けりかろ」と真実を込めて言ってしまってから、そこでチンと受けさせて、いわば桜丸に対する心持ちを運んで置く順序を付けて行くようにしています。『六世菊五郎百話』川尻清潭著(昭和23年)より

「親子の情愛は歴史を通じて普遍的だ」と我々現代人は思つてゐて、それが忠義とかなんとかの社会的関係によつて犠牲を強ひられる、その葛藤で当時の観客も感動した……といふわけではなく「息子は忠義のために役立つたからニッコリ笑つて幸せに死ねたが、弟は無駄死にで不憫」で「倅より弟の方が泣かせどころ」だつたか。いずれにせよ同じセリフ、同じストーリーでも別の解釈が生まれ、それで感動できてしまふ……といふ面白さ。さういふ面白味のない芝居は上演が絶へてしまつただらう……といひつゝ「なんで、こんな芝居が」がとき/\上演されるのだが。