富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

上水戸界隈


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香港の立法会で内務委員会は民主派が半年にわたり議長選出阻止の引き延ばし。建制派が業を煮やしてして建制派の前議長司会にして会議強行開催開催。で議場は暴力沙汰。北京中央の港澳办公室と中联办があからさまに香港内政干渉で民主派批判続ける状況で香港市役所と建制派が内務委員会開催急ぐのは国歌条例を今期7月迄に成立させるがため。去年の逃亡犯条例は廃案に追い込まれたが今年はこれ。9月には立法会選挙もあり、また「香港政治の熱い夏」(倉田徹先生)が始まりさう。(下の写真で)楽しそうに石原慎太郎ぶりで殴打を構へるのは建制派の何君堯議員(民建聯)。所詮このレベル。

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夜中に目覚め、ふと「JRAの投票口座開設をしてゐなかつた」と思ひ出して早速、手続き。週末競馬の投票が前日の金曜からなのはわかるが、かうした口座開設手続き等も対応は投票開始時間のみで月〜木は能はず投票開始となれば夜中でもできる。ネットでの投票なのにマークシート塗りつぶし様式があるのには驚いた。やはり馬券はこれぢゃないとダメといふ共通一次世代なのか。 

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上水戸に所用あり自転車ででかける。上水戸は水戸の浅草のやうな場所で戦前から戦後は二十三夜尊桂岸寺への参拝で短い参道を中心に賑はふ。水戸駅や当時の繁華街の泉町、大工町からも距離あるが路面電車が上水戸から水戸駅経て大洗まで続いてゐた。水戸商業高校も古い学校だが(水商といへば高校野球がかつて盛んで西鉄豊田泰光や巨人軍・大久保博元ら輩出)旧校舎が現存で、これを今まで見たこともなかつた。市街はどこもさうだが、このあたりはとくに市街過疎化著しく古いアパートの廃屋など目立つ。 


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所用は吉田屋菓子舗での吉原殿中受け取り。水戸で「吉原殿中」の商標で同類の菓子供す菓子屋いくつかあるが、そのなかで大量生産せず「注文のみ」なのが、この菓子舗。お届けもので数日前に注文して10本入りを2袋受け取つたが、さういへば自家用が欲しくなり1袋追加お願ひすると頒けていたゞく。 


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母校訪れ外観を眺める。自由奔放の極みのやうな校風であつたが、その後は男女共学となり撤廃されてゐた学校規則も復活で随分と「正常化」された由。学校の裏手の墓地に山村暮鳥の墓あり。掃墓。 


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古い住宅地の路地を西に進むと保和苑(上述)に。高校の頃は授業サボつて公園で親友との四方山話と一服がどれほど楽しかつたか。金子兜太の歌碑あり。
 白梅や老子無心の旅に住む
アベ政治を許すな」が辞世の詞となつた俳人が旧水高出身だつたとは今日まで知らず。この「白梅や」が兜太の初生句だとは。


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寺に併設の保和苑には庭園のなかに乗り物玩具や小動物園あり周末には子ども連れでかなり賑はつたもの。クマやアシカもゐた小動物園あつたが今では鳥舎にひと番ひの孔雀ばかり寂しきもの。苑内の茶屋も廃墟となつてゐる。 


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二十三夜尊桂岸寺の向かふには常盤共有墓地あり。何某共有墓地と聞くと無宗派の公営墓地のやうだが、この墓地は寛文六(1666)年に光圀公が家臣に賜はつた墓地。光圀公は当時の宗教界の為体憂ひ神仏習合も禁止して迷信邪教淫祠嫌ひ寺社改革を断行。その一環として葬祭簡略化図り家臣に仏式の祭礼法要に対して自葬祭勧め「喪祭儀略」なる規則編集し法要の仕方まで整へ墓石の大きさ、形まで規定して奢侈に流れぬやう戒めた宜。その典型がこの共同墓地。よつて仏式の戒名もない墓ばかり。水戸黄門漫遊記に出てくる助さんのモデルとなつた佐々宗淳(幼名は介三郎)の墓から幕末の藤田幽谷・東湖父子(墓は右下)や尊王志士らの墓多数。そこに茅根伊豫之介(号は寒緑)の墓もあり(写真左下)。父方は茨城県北の茅根姓で、この一族。幼いころに祖父に伊豫之介の書状見せられる。伊豫之介は弘道館の初代館長になつた俊才だつたが安政の大獄水戸藩家老・安藤帯刀らとともに斬首となる。享年三十六。


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あれだけ外出自肅続きで和菓子食べてゐたのにご當地の「水戸の梅」食べてをらず。木村屋本店のこれは井筒亦なき後、最良かしら? 

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地元・常陸鴻巣・木内酒造の動きお見事。大アサヒ、大キリン相手にビール貯蓄からのアルコール精製を申し出て実現するとは。 

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