富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

憲法記念日


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大公報は抗議方の暴力化と爆弾製造を叱り蘋果日報は警察幹部の自宅不法建築やコンプライアンス上の問題を論ふ。 


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外出自粛で使っている茶器は祖父が遺したもの。銘は㊗️好文亭復元……と読め、銘印は「偕楽」。好文亭が空襲で焼失して昭和33年再建時の引き物か。銘印の「偕楽」が三文判っぽいと畏友J君。確かに。当時は斉昭公遂行の七面焼のことがまだ忘れ去られてゐたので致し方ないにせよ茶亭でもある好文亭である。平成になつて偕楽園南崖で発掘された七面焼の銘印(画像右下)はそりゃステキ。(画像左下はボストン美術館蔵)

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本日は春の天皇賞。昨年の凱旋門賞(最下位)で有馬記念も4着だつたフィエールマン(ルメール騎手)が1番人気で2連覇。2着に大穴でスティップフェリオ。私は角居厩舎でトーセンカンビーナ応援したが5着。同じ厩舎の人気馬キセキは今日は武豊初騎乗で期待され3番人気だつたが途中飛び出して力もたず6着に。疫禍、緊急事態宣言は5月末までとなりさうだが競馬は今日の天皇賞のあとNHKマイルCヴィクトリアマイルオークスにダービーと毎週日曜は府中でG1続き6月7日の安田記念まで楽しみなところ。

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本日は憲法記念日。「国会での憲法改正議論急ぐ必要があるか?」の朝日新聞世論調査で「急ぐ必要はない」72%が「急ぐ必要がある」22%を大幅に上回る。晋三「改憲」曰へば曰ふほど民草は敬遠。自民党支持層ですら「急ぐ必要はない」が64%(逆は32%)。将来的に改憲の必要性を尋ねれば「変える必要ある」と「必要ない」が43:46とほゞ拮抗するが9条は「変えないほうがいい」が65%(反対は27%)。
自民党改憲案に盛り込む「緊急事態条項」は
 いまの憲法を変えずに対応すればよい 57%
 憲法を改正して対応するべきだ    31%
 そもそも必要ない           8%
晋三への支持率も「支持する」42%と相変はらず減らないが「支持しない」が48%と漸く半数近くに。

高校の時に社会科のS先生が「松岡正剛は面白いなぁ、思想家として」と呟かれたのを切掛けに工作舎の隔月刊だつたか『遊』を読み始めた。編集工学者たる松岡正剛をその後は『千夜千冊』を頻繁に読んでゐるが著作を読むのは久しぶり。これが疫禍外出自粛、折からの読書週間で売れてゐるのだといふ。租庸調、班田収授の法、三世一身の法、墾田永年私財法、本地垂迹説、御成敗式目承久の乱六波羅探題……と高校日本史の復習のやう。今の日本に大切なのは「世阿弥に学ぶこと」だといふ正剛先生。説く学びの本質。現在日本の教育に足りないこと。

学校の先生や生徒にもたらそうとしたものは、日本人がたいせつにしてきた「生と技と美」のつながりを解釈できる能力の提供ではなかったのです。少なくとも「学制」としてはそういうことをほとんど重視しなかった。かわりに明治近代の学制が強調したのは何だったのか。「教育勅語」でした。これからの日本人が大日本帝国の国民(臣民)として守るべき歴史観と道徳観を公式見解にしたような勅語です。

貞永式目武家諸法度に代はる「道理」の中身を明治臣民向けのものに入れ替へてしまつた。「国体」を国民が護持しなさいという教育思想。こゝで水戸の会沢正志斎が出てくる。市中に買ひ物に出ると通る正志斎屋敷跡。

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(以下、書き抜き)「尊王」のイデオロギーを近代向けに言い換えたのが「国体」。その国体を学校教育の前提にも敷いておこうというものが教育勅語教育勅語では天皇中心の国体護持思想をふりまいたのだから何か根本的なところがまちまちだった。そこで「世阿弥に戻ってみる」ことの大切。芸能としての「ものまね」を通して「まなび」こそが「まねび」であって「まねび」がどうすれば「まなび」になるか。稽古=古を稽る。象(かたど)る。肖る。そして藤村の『夜明け前』。鷗外。日本の近代は「或るおおもと」を失つて虚像になつてしまつた。日本の「家」はいったい何を守つてゐたのか。

利休があえて万事万端に「引き算」を心掛け、茶室を四畳半や三帖台目の「小さきもの」に徹し、ふるまいを僅かな動きに絞ったところが鮮やかでした。大きな相手を小さく受けたのです。

(同)いまの日本社会に足りない「バサラ」の心意気。今日の日本文化には、あえていうならこのディオニソスが再来すべき。今日の日本ではアポロン的なものもひどく衛生無害なものになっているから、いったんは荒霊やスサノオの一群にちゃんと直面してみるべきなのではないか。現状の日本がコンプライアンスを破る者に目くじらを立てたり、罰則をもうけようとしていると、本当の「中道」がうんと遠くなるだろうと危惧。今日の日本にバサラやかぶき者の気骨が失われていることは残念なかぎり。親鸞の精神が派手だと思えるようになってほしい。

情報の区別力は生命体がつくりだしたもの。太陽系の中の惑星のひとつに生命が誕生したのは、無数にありうる物質の組み合わせに劇的な変化がおこって(海底のシアノバクテリア光合成をおこして)やがてアミノ酸やタンパク質による自己複製化や自己組織化が進むようになったから。情報を編集する力はすべて生命情報のしくみに起因していた。生命情報の編集のしくみが外部化され、人間はその外部化された情報を扱うようになり、文明や文化を構成することになった。チューリング・マシンが考案され、コンピュータとデジタル化の技術が出現すると、事態は一変。「もうひとつの世界」のあり方の出現。これで「間拍子」や「引き算」の感覚が後退するのではないか。合成の誤謬

小泉劇場からの政治には、日本が何を考えるべきかという根幹についてのミスリードや、もしくは日本の戦後政治が「こうせざるをえない」「こんな手を打つしかない」というふうに竹に松や杉を接いでいるうちに、思考や行動のプロセス(いわゆる政策決定プロセス)そのものが、当の本人たちにも見えなくなってしまったという症状があらわれている。

久々に読んだ正剛本だつたが気になるのは正剛先生は禁煙ならぬ断煙をされたのか何か。数年前に肺癌が見つかり築地の癌中心で手術は成功。1629夜『肺の話』木田厚瑞|松岡正剛の千夜千冊 だから今も生存して旺盛な知力生活をしてゐる正剛先生。その後また喫煙を続けてゐるのか。それが気になつたのは、この本が何十もの講立てとなつてゐるので主題はいろ/\飛ぶのだが書かれてゐることが些か散漫といふ気もしないでもなし。これは喫煙せぬことでの思考の散漫なのではないか、と。さう思ふのもアタシ自身がニコチンがない生活になつて以来、浅学ながら更に思考が散漫になつてゐるからなのだが。

外出自粛で本を読むしか楽しみもなく岩波書店『世界』2020年05 月号 も読む。特集「コロナショック・ドクトリン」で
 金子勝「新コロナ大恐慌にどう立ち向かうか」
 Mike Davis「疫病の年に」
 西谷修「緊急事態とエコロジー闘争」
連載でも寺島実郎の「能力のレッスン」が「新型コロナウイルス危機の本質」を取り上げ神保太郎「メディア批評」もこれを取り上げ充実。とくに西谷修は必読の面白さ。

社会を防衛する手段が、その生存活動の要所を閉じること以外にないというジレンマ、つまり防衛手段それ自体が社会システムを窒息させるということ、それが今回の「パニック」の根源。

資本主義は「欲望」のシステムであり、その欲望が抑へられること。新自由主義も、そればかりか確実に我々の今のシステムの見直しが問はれる。


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テレ東の〈アド街ック天国〉かしら、何かのテレビ番組で紹介されてゐたが栃木の「レモン牛乳」は栃木乳業製で商品名は「関東・栃木レモン」というのだそうだ。隣の栃木ではかなり普及したソウルドリンクださうだが「栃木」と銘打つくらゐで茨城では最近になつて売られてゐるさうな。飲んでみたが不思議な昭和の味。