富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

ぼくのミクス 西条宇十


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海外を頻繁に旅行する知己がSNSに書いてゐたが帰国後の体調不良から医療機関で診断を受けたところ「罹患している可能性が高い、ただし現時点では超軽症」との診断で、この場合まだ明らかな感染症状が見られないため精密検査も受けられず自主隔離生活なのださうな。それで14日とくに悪化なければ放免。かういふ人たちで感染者を加へたら日本の感染者数はかなりになるはず。

佐伯啓思「現代文明かくも脆弱」朝日新聞

一見、自由や豊かさを見事なまでに実現したかに見える現代文明のなかで、われわれの生がいかに死と隣り合わせであり、いかに脆いものかをわれわれはあらためて知った。カミュの「ペスト」がよく読まれているというが、そこでカミュが描いたのは、とても人間が管理しえない不条理と隣り合わせになった人間の生の現実である。文明のすぐ裏には、確かに常に「死」が待ち構えているのである。

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▲「台湾」といふより、やはりこの人は中華民国参謀総長から国防大臣、そして行政院長(首相)で一時代を送つた郝柏村が百壽全うで逝去。典型的な外省人。1988年に蒋経国死去で李登輝が総統就任。翌89年に生粋の軍人でウルトラ保守派の郝柏村を国防大臣に起用は批判もあつたが結果的に国防部はシビリアンコントロールが原則で郝柏村がトップになることは軍人の制服脱ぐことで李登輝は更に郝柏村を行政院長に抜擢し結果的に郝柏村の強大な権力支配下にあつた軍を掌握。郝柏村は李登輝に高職に祭り上げられるほど支配力失い1995年に国民党退党で李登輝征伐に出るが既に遅し。台湾は郝柏村を全く必要としない時代に。富柏村と名前が一緒だが個人的には真逆に苦手な人格なのであつた。

▼ぼくのミクス 西条宇十(さいじょううそ)

母さん、僕のアベノミクス、どうしたんでせうね?
ええ、この春、中国からから世界に広がった感染で、
谷底へ落としたあの経済政策ですよ。

母さん、あれは好きな政策でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなりウイルスが吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、日銀から老いた総裁が来ましたっけね、
国の資金をドブに捨てた。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに赤字国債
背たけぐらい増えていたんですもの。

母さん、ほんとにあの政策どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた人民元の花も
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの政策の下で毎晩国民が泣いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの三本の槍の政策と、
その柄に僕が書いた
S.A. という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

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