富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

正月初四


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香港市役所は遅ればせながら内地との交通管制を敷いてはみたが全面拒絶ではなく武汉のある湖北省以外からの旅客は少なからず健康状態の自己申告では虚報も多し。

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香港市役所は林郑以下関係幹部記者会見で明後日(30日)から高速鉄道と在来線の廣九鉄道の鉄道運行を当面中断と発表。明らかに後手/\。記者会見に列席の林郑市長以下これまでマスクしてゐないと非難されマスク着用。反修例風暴でマスク禁止法出した手前、マスク着用すれば「ほら見たことか」と嗤はれるの確かで不着用に拘つたか。今日は林郑と衛生局長のSophia陳肇始博士は二人とも白衣ならぬ白色のジャケットでお揃ひ。こまどり姉妹か。

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武漢市長稱封城決定非常艱難 願意「革職以謝天下」 - RTHK 武漢で市長と湖北省省長ら記者会見で武漢肺炎の状況につき釈明。気になるのは中共は党が政府、司法や軍、公安を指導する立場であるとしつゝ省や市でも人民政府より遥かに権限のある党委が存在するのだが、その湖北省や市の党書記が一切かうした会見等には出てこぬこと。これは行政の職責であり党は免責か。それでも武漢市長が自らと党書記は今回の疫禍については「革職以謝天下」(辞職で社会の許しを乞ひたい)と述べ間接的にだが武漢党委の責任に言及。これにつき武漢党委書記の合意は取れてゐるのかしらと気になつてゐたら

“这一点大家要理解,因为它是传染病,传染病有传染病防治法,它必须依法披露,作为地方政府,我获得这个信息以后,授权以后,我才能披露,所以这一点在当时很多人不理解。”

武漢市長「権限なしに情報公開できぬ」 政府の責任示唆:朝日新聞

と釈明。それが中央電視台のニュースで流れる。武官肺炎も政治的に文革での権力闘争のやうな色彩を帯びてゐるのか。


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正月も四日目で日曜挟んだため香港は今日まで祝日。家人と出街すると団地の花壇に植物名の表示は親切だが「福建茶」では「摘んでください」といつてゐるやうなもの。薬局にはマスク買ひ求める客の列。 

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中環から歩き始め文武廟参拝。門外に長蛇の列。傍門前の香燭屋への列でやり手さうな女が仕切る。横を通り抜けやうとすると「列に並んで!」と叱られるが正面の門からは出入り自由。香燭屋がいゝやうに参拝客騙くらかす神仏恐れぬ手段。


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太平街から東華三院に向け歩く。この一帯はかつてペスト流行したことろ。それを思へば武汉肺炎もまだおとなしいか。 


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西營盤から皇后大道西を石塘咀に向けて歩く。泰通超級市場は大手スーパーに負けず地道に営業続ける。店猫を愛でる。


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石塘咀はかつて西營盤の水坑口にあつた淫賣宿が都市化で追ひ払はれこの地に集まり戦前は「塘西風月」といはれた場所。日本橋人形町にあつた吉原が日本堤の新吉原に移つた如し。高級遊女おいた「大寨」に対して二四寨(二銭、四銭の安値で遊べたゆゑかう呼ばれたさうな)多し。戦後は二階建ての娼宿もすつかり取り壊され面影もなし。家人が石塘咀の南里の崖に戦時中の防空壕など廃墟ありといふので今までそれを意識したこともなく改めて出向いてみる。香港大學の拡張した新キャンパスの崖下。駐車場の奥にかつてこゝにあつた建物の外壁が残る。裏手の外壁だけ残したのは崖が混凝土で覆はれ「整備」される前に大雨での鉄砲水、落石倒木への防ぎであらう。
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香港大學に上がる電梯を少し上がり、その建物残壁の裏手を除くと野良猫に餌をやる夫人二人が眺められ、その崖下に入る。防空壕はすでに入り口塞がれてゐるが、いくつも入り口あり。


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その猫に餌やる婦人に話かけられる。この駐車場になつた建物に20年前まで住んでたさうで崖には戦後、バラックが建てられ臨時家屋に住民も多し。それが撤去され崖崩れや倒木も深刻で混凝土で整備されたといふ話を聞く。その猫に餌やる婦人に話かけられる。この駐車場になつた建物に20年前まで住んでたさうで崖には戦後、バラックが建てられ臨時家屋に住民も多し。それが撤去され崖崩れや倒木も深刻で混凝土で整備されたといふ話を聞く。南里には何度か寄つてゐる閑かなパブあり啤酒飲みハーバー沿ひへ。こゝには石塘咀のトラム車庫ありトラム線路の分岐好きには聖地のやうな線路分岐が眺められる。 

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