富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

魔星嶺下

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(大公報)警官を親にもつ7歳の小学生が学校で黄師(反政府方の教師)に侮辱を受けてゐるといふ話。(蘋果日報)香港で時代を風靡した大物強盗が刑務所出所、香港に居住権なく米国籍有するため出所と同時に米国に向け出境。UA機には6名の係官同乗。それでも機内で啤酒を飲めたのだといふ。すでに刑は済んでゐるので啤酒を飲んではいかないことはない。18年ぶりに飲む啤酒は何んな喉ごしだつたか。


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昼過ぎまでの所用済ませ家人と上環で待ち合わせ1系統の路線バスで香港島最西の魔星嶺(Mount Davis)の麓へ。シカゴ大学の香港校!(MBA専修)でRoyal Asiatic Societyのレクチャーあり。旧知の在野の歴史家・高添強とDr Patrick Haseが“On the Verge of Metropolis: Squatters in HK”と題しての講義拝聴で末席を汚す。この施設、市俄古大学が香港にこんなコースまでとMBAのブームにあばらかべっそんだが急な崖にモダンな低層建築でベースになつてゐるのは歴史建造物指定受けてゐる2階建てのコロニアルモダニズムの洋館。ここは曰く付きの場所。元々はヴィクトリアハーバーの西の入り口で海賊船監視のため砲台あり。日本軍の佔領期を経て戦後はまず大陸から逃げてきた国民党の住処に。国民党はその後すぐに調景嶺に移され、そこは難民らが住みつき不法占拠のスラム化。海岸の崖上にあるVictoria Rd沿ひの洋館は英国軍の所轄から香港警察に移り70年代からは秘密警察がこの施設を使ひ秘密裏に中共諜報員検挙しては、ここで過酷な取り調べ続け身柄拘束。当時、ここは機密の場所で地図などにも施設の表示はない。その後は警察に贈収賄等での機密情報を流した人士を匿ふ施設。今世紀に入り、その役目を終へ 地図上にもやつと「廃屋」として表示が出たほど。それを香港政府が整備して結果的に市俄古大学へのリース決定し今日に至る。


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ここは市俄古大学が土地提供受けてゐるが香港の史跡といふことで占有の条件に公共への施設開放や歴史展示等を求められてゐる。史跡とすれば維持は費用も含め容易ではなく一団体の占有とすると公共性なくなるところ、この折衷案はなか/\賢いところ。 


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戦争や内戦のあとの混乱期の不法占拠、スラムといふと私たちは「逃亡者が貧困のなか」とイメージするが高氏の説明によれば大陸からの難民は当然だが、その他に戦争末期に米軍による日本軍攻撃で1944年から終戦までに香港都市部で住宅の9千戸が倒壊、1万戸が半倒壊で住処失つた市民も多く1961年の調査では人口320万人のうち50万人が何らかの形で土地の不法占拠で苫屋建て住まひ、他も生活環境はひどく商店内や雑居ビルの廊下や階段の裏、地下、ビルの屋上など場所を見つけては寝場所として路上生活者も2万人いたといふ。当時、多くの住民は都市部のtenement(これを日本語で何といふのか、路面が商店で楼上が住宅になつてゐる建物)に生活が望まれたが低収入では家賃が払へず。香港政庁も安普請の公共団地(難民アパート)建造に着手したが当時はこの難民アパートに入るも(家賃をきちんと払ふため)収入の最低条件があつたといふ。さうした基層階級の市民が、このどこか土地があれば急な崖だらうが苫屋建て不法で生活し始め……と思ふが、このsquattersが所狭しと並ぶ地区は黒社会が仕切り苫屋建造の上、住民に住まわせ定額ながらも家賃徴収といふシステムが多かつたといふ。ヤクザや暴力団に社会事業主的側面があり公共が対応できぬところの多くを担つてゐたこと。Hase博士は新界の歴史に関する碩学。新界にもいくつも不法占拠村点在するが、こちらはさらに事情が複雑。土地の所有権じたい昔からの土地の豪族や地主、香港の当時振興勢力であつた富裕層が土地開発を進め香港・九龍と違ひ新界は英国にとつては租借地のため英国王室としての土地所有権も地税徴収権もなし。さうした土地に建てられた家屋は少なからず土地の登記や所有が明確ではなく、土地制上は農地と区分されるところが住宅になつてゐるのだから不法占拠といへばそれまで。香港・九龍のやうに強制的な土地の接収も能はず集落が村落となり今日に至る。それでも現在は新界での住宅地開発が進み大手デベロッパーが土地買ひ上げることで、さうした村落が一つ一つ消滅。  


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講義のあと崖下へと出てみる。なか/\来る場所ではないし、かつては立ち入り禁止地区だつたのだ。建物のすぐ下には砲台跡とかつての英国軍営の建物の廃墟。ブロックや煉瓦で作つたのであらう建物の駆体はとつくに崩れて跡形もないのに混凝土製の内壁や階段が今でも残つてゐる。そこからさらに崖の階段を下ると昔の不法住宅密集の跡が草木が覆ふなか跡形を残す。香港の戦後史そのものの史跡。


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昏刻に市街に還るには順当には中環方面に還るところ本日は中環にて「警暴」に対して林郑と暴警PK邓がそれを認めぬことに講義する「天下制裁」抗議集会開催あり。集会ぢたいは警察の「不反対」出てはゐるが毎度のことで集会は千万の人出で会場となつたCharter Garden溢れるほどに警察が中止求め解散促された抗議方が路上に溢れる。路線バスは運行が何うなつてゐるか我々は魔星嶺から路線バスで逆方向の華富団地へ。そこから41A系統の路線バスに乗り換へ山越へで北角に還る。家人が和富街でミシュランに載つたさうな潮州料理屋があるといふので行つてみたが案の定、日曜晩は外に待ち客溢れてをり北角のトラムターミナルにあるトラム職員食堂で夕食して帰宅。


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本日の「天下制裁」集会は主催者発表で15万人(警察発表1.1万人)の盛況。
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この集会に私服の警官が丸腰であるのは一見、立派なものだが数名で乗り込み集会の即時中止求め、それに反発する武勇派が警官らに殴打の私刑。暴警はこれをまつで待つてゐたかのやうに防暴警察現れ現場鎮圧に。しかもこの私服と殴らんばかりにやりあつた「抗議方」が警官が私刑で流血の怪我をすると、その警官を担ぐやうにして警方の陣地に戻つていつたといふのだから、これまた「自作自演」か。


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現場は混乱し路上では催涙弾砲台といつもの流れ。主催者の責任者は自らの企画は暴動期したものにあらず。その現場に数名の警官が無理やりに中止要求では、それに反発する参加者が興奮するのは当然であらう、と警察を非難。御意。


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それでも、これまでだとこゝからが夜遅くまでのお祭りとなるところ一山超へると暴徒による暴動も続かず収まる。警察もこの抗議活動に何う対処すべきかの手段に行き詰まり。