富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

句読点は要らない


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反修例風暴であれだけ暴乱での暴徒による暴力行為を騒いでゐた大公報も暴乱が落ち着いてきてしまふと叱るネタにも餓ゑ中联办新主任骆惠寜赴任で祝賀気分か香港の心の暖かさのやうな物語り。香港精神一直在 共同珍惜這個家龔之平

一家人應該齊齊整整,但也會鬧分歧。發生了問題,產生了矛盾,應該用理性的方式來處理,在法律的框架下解決,而不能吵翻天,傷感情,更不能為發泄情緒而將家裏砸個稀巴爛。駱惠寧說得好,大家對一些問題有不同意見甚至有重大分歧並不奇怪,但不能走極端,更不能搞暴力。一家人之間有商有量,再大的事情都好解決,若是突破法治及文明的底線,對社會只會帶來災難性後果,損失的是多數香港同胞的共同利益、長遠利益、根本利益。這番肺腑之言,出乎內心,發諸真情,值得香港人認真傾聽,仔細咀嚼。我們常言「獅子山精神」,其實獅子山精神的內核就是「放開彼此矛盾,理想一起去追」、「拋開區分求共對」。香港成為舉世矚目的東方之珠,在法治、廉潔、自由度、競爭力等國際排行榜上長期位居前列,正是幾代香港人團結一致、同舟共濟,努力打拚得來的成果。家庭和睦是香港的「傳家寶」,這個寶貝任何時候都不能丟掉。

市民の要求に対して何ら妥協もせず「止暴制乱」と強圧的に「安定」強いることが中共にとつて将来どれだけの禍根残すこになるのか……香港だけの問題ではなく中国13億、否、14億になつたのであつた、その巨大な国が今後何うなるのかと思ふとぞっとするほど。その香港安定に尽力する香港暴警のトップPK邓は引退した名前失念の前任者に倣ひ反修例で議会などに一切姿を見せず、やりたい放題のくせに何かあれば弁護を保安局長や林郑市長に任せるばかり。そのPK邓が中西区の区議会に呼ばれ参加(蘋果日報)。これは警視庁の行動に対して市民の怒りが募り政府も国会も見て見ぬふりなので「ならば」と警視庁のある千代田区が区議会に警視総監を呼ぶやうなもの。そこで反修例風暴での警察の一連の暴力に対してあれこれ抗議の上、説明を求められ開き直つた釈明を叱られ挙げ句の果てに区議会がこの傲慢トップの解職求める決議を受けるといふ、これまた驚きの世界。親中土共建制派は「区議会にそんな権限はない!」と民主派が制圧する区議会の「ゆきすぎ」批判するが民主派は普通選挙も実施できず市民の抗議がきちんと行政長官選出や立法会戯院選挙で伝はらぬから区議会での政治的言動といふ非常手段に至るといふ。反修例がきちんと平和的抗議活動と立法会で議論し市民の意見が反映されるのなら暴力的抗議といふ手段は取らぬのだといふ発想と同様。現時点では区議会がどれだけ賑やかになり政府が困るかしか期待できないほど選擇の余地がない。

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湾仔のW Squareにあるスタバは反修例でよく打毀しに遭ひ9月には落書きされる程度だつたがクリスマスには放火。当然この狼藉働いた「暴徒」は検挙されてをらず。それでもまた健気に再開してゐるのだから大したもの。防御壁が外されただけ、まだ少し落ち着いたか。路上でのスナップ写真に歩行者が偶然に写つてしまふ場合があるが(右上)この上品な老人がもし私服警官だつた場合いまの香港では撮影したアタシは身柄拘束され警察署に連れて行かれた上に取り調べでボコボコにされるのかしら。ところで「放火」とは書いたが放火ならばガソリンでも撒いて店内にガソリン流れ込んだところで放火すれば、たちまち火事になるが、この「暴徒」による放火は近くで見たときも、いつもジッポーオイルとかベンジンの類ひ。それをぴゅっと撒いて火を点けるだけなので一瞬パーッと炎が上がるが、つまりはフランベの如しで引火するヒマもない。炎の上がる見た目で、これが報道されると「燃えてる」感じで絵面として映える。

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西湾河で🍊をいつも買ふ🐈がゐる店が閉まつてゐたので近くの店で🍊を「3磅HK$20」で買はうとしたところ店の者が目分量で袋に入れた🍊の量が明らかに3磅より少ない。秤にかけるとき見りゃいいやと思つたら秤の前が妙に他の果物で目盛りが見えない。🍊を渡され「あ、軽い」と思つたら店の女は茹で落花生を一掴みくれてよこす。4、5殻ほど。そこで落花生突き返して「君、もう一度、量りたまへ!」と言つても良かつたのだが茹で落花生は好物なので、それに目が眩み茹で落花生を啄みながら向かひの公共街市に行き「公平秤」に🍊を載せてみると2.5磅にも満たずのエコエコアザラク。店に戻り「足りないよ」といふと店の者は🍊の袋を秤に載せて(相変わらず目盛りは見えぬ)そのあと🍊を4つ追加。謝りどころか言ひ訳もせず。セコいアタシの方がまるで悪いやう。まだ足りないのは確かだが落花生貰つて食べてしまつてゐるので、そこは妥協。それにしても油断も隙もない。上の3枚の画像のうち右はタイ雑貨屋の愛想のよいネコで勝手にサワディーで「サワちゃん」と呼んでゐる。

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朝日新聞(昨日の夕刊?)の文化欄から。① 開高健は変はつた名前だが本人が随筆で自分のこの名前(漢字では本名)はkAIkOUkENで母音がアイウエオどころかンまで入つてゐると書いてゐた。なるほどさうだ。アタシにとつては作家でも越南戦争のルポでもなく、もはやサントリーのCMに出てくる「外国で釣りをする人」で開高先生の後輩の山口瞳のほうが作家としては現役だつたので開高健は読む機会を逸したまゝで去年、初めて短編集でも開高健を読んで、その筆致に今更ながら驚くばかりだつた。② 本多勝一は、この講談社の編集者さんは図書館も教室にしてしまつた昭和のマンモス校に隔週で来る移動図書館で小学生のときに『ニューギニア高地人 』を読んだといふ。そしてこの著者によるマージナルな三部作の残り二冊も読める巡回日を楽しみにしてゐたといふのだから大したもの。それから十数年して就職して通勤電車で読んでゐた本が「あれ、知っているぞ、この本」で小学生の時に読んだのが本多勝一のそれだとわかつたのだといふ。なんて劇的な話だらう。本多勝一は本当に、それくらゐ凄かつた。ところで上述の「あれ、知っているぞ……」の部分、記事本文では「あれ、知っているぞこの本」となつてゐるが、この「ぞ」と「この本」の間には本多勝一的に、きちんと句読点を打つべきである。要らぬ句読点など糞食らへ。本多勝一は『日本語の作文技術 』(朝日文庫)のなかで何う絶対に句読的が必要な時を明確に述べてゐる。アタシはこの『日本語の』を読んでかなり触発され句読点不要派になつてしまひ今日に至つてゐるが文章の組み立てがしつかりして語順で係結びがきちんと整理されてゐる文章は句読点などなくても読みにくいことはないといふこを教へてくれた点に於いては本当に本多勝一先生に感謝してゐる。ただしアタシは漢字をつかはなくてもじゅうぶんにカナで文意がつうじるところでも漢字多用はよけいな漢心(漢字は日本語には同音異義語がおおく漢字がないと誤解がしょうじる場合につかふ程度でよい)……ほら一寸これでは読みづらいでせう? でもそれ以前に丸谷才一が旧仮名で書くことで本多勝一には円谷はかなり保守反動と罵詈雑言を浴びせられてゐたつけ。

▼昨日、皇居で新年の歌御会始。毎年、皇后さんの御歌を楽しみにしてゐたが天皇さんの代替はりで先帝とも/\歌御会始にはお姿表さず御歌の披露もなし。じつに寂しいかぎり。新年の皇居一般参賀はお出ましあつたので、それに倣ふかと思つたのだが。でもこれで御歌麗麗と詠んでお出しになつたら「さながら貞明さま」と久ヶ原T君……といへば明日から世田谷文学館で六世中村歌右衛門展でござゐます。開催はちょうど大檀那ご命日にもかゝるが来年なら没後二十年祭のところ。

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