国慶節に北京から戻つて龜縮であつた林鄭が姿現してマスク禁止法発令。香港で「法」は正確には香港特別行政区基本法だけで法律に該当するもはすべて「条例」。今回はそのうち緊急状況規例条例(Emergency Regulations Ordinanceに基づく「規則」(Regulation)の発令(だが便宜上「法」英語でもLawと呼ばれてゐるので、それに従ふ)。林鄭はしきりに「香港は緊急事態にはない」と指摘。それで緊急事態宣言せぬので解放軍の介入による軍による鎮圧等はない、その代はりにこの緊急条例で対応といふことになるのだが反発がどれだけのものになるか、火に油を注ぐのだが。
夕方より仕事帰りの市民が中環に集結して抗議。
夜になり太古のCityplazaの商場でも抗議活動始まつてゐるといふので出かけてみる。
一旦帰宅して夕食済ませ、また太古に出てみるとMTRの太古站は閉鎖で路上では黒蟻車中による自動車の走行妨害始まつてゐる。
西に向かひ歩き始めると鰂魚涌站も閉鎖となつたところで路線バスも何ヶ所かの道路通行止めで立ち往生。北角の手前で客を降ろした間際のタクシーがあつたので行けるところまで行つてくれと頼む。北角は今晩は福建帮は出てこずいざこざもなく平静。天后へ。ヴィクトリア公園に入るとMTR站が閉鎖されてゐる銅羅湾から公園抜け歩いてくる黒衣多し。バスケットボールコートではいつものやうに少年たちが遊んでゐる。
銅羅湾のMTR站の出口では雑物燃やされたやうで警察がすでに鎮火。かなりの人々が路上に出てゐるが、それ以上の騒ぎはなし。すでに騒ぎは一山越えていたやう。
バーSに寄ると、こんな晩にまるで示し合せたやうにO氏とK氏が二人で飲んでゐて笑つてしまふ。さすがにこんな晩に他に酔狂な客もおらず。今晩はMTR站の破壊活動激しかつたやうで、すでに全線でMTRは不通。
歩いて帰宅するしかない。ヴィクトリア公園では小学生の子どもが父親とバスケットボールで遊んでゐる。路上生活者も何事もないやうに寝てゐて夜食の食堂もいつものまゝ。かうして見てゐると平和なのだが。
バスは来らず結局、家まで歩いて帰る。銅羅湾から40分程であつたが歩いたせいで酒がすつかり抜けてしまつた。