富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

"Liebestod" - Tristan und Isolde

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建国70周年で習近平にとつては自らの強国路線の輝かしき日子であるべき十一国慶が香港での反中が抗争で、しかも警察が市民銃撃で世界の目はそちらに向く始末。強国主義の影で国内にはウイグルチベットでの弾圧、香港経営の困難と難題抱へ国内も経済繁栄あつての安定。対米経済戦争もこれから何うなるかの課題。

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香港ではアグネス周庭など「中共による香港圧政から香港を救ふには今しかチャンスがないのです」と訴へてみせるが習近平中共は、さて今後何うなるか。


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朝からMTRは全線復旧の由。一部の站の出入り口は改修のため閉鎖。炮台山に所用あり。炮台山は週末の抗議活動では抗方と北角牙城とする福建幇の抗争激しき処で昨晩も小競り合ひあつたが翌日の午前中かうして出てくると何事もなかつたかのやうに都市といふものゝ復生。それでもO氏が湾仔だらうか中国銀行のATM機損傷の画像を見せてくれたが非道いもの。勇武派の彼らの敵は銀行か。中共系といふことで狙ふのだが攻撃先は命をかけて中聯辦、林鄭公邸、香港警察だらうに。

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昼迄の会合のあとT氏の計らひで利苑酒家に飰す。反送中の、といふ言葉も埃かぶつてしまひ逆権運動なのかもしれないが、その逆権で飲食店では美心集団系が反発喰らふなか。さういへば利苑の経営は?と思ひご一緒した博識のH氏に問へば利苑の創業者・陳樹杰は国民党で広東を守り一時は南京の中央政府とも分庭抗礼となつた俗称「南天王」陳濟棠将軍(1890〜1954)の幼子。富裕の陳家に育つた樹杰は若い頃から美食家で半世紀以上前に留学から戻り飲食店経営志したが当初振るはず自ら入厨で炒鑊燒菜を習得。今では香港ばかりか京滬、新加坡にまで食肆広げ成功。全ての店舗を「分店」として本店なし。かうした多店化でミシュランなのはご立派。
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香港警察は昨日の中学生銃撃で正当防衛の言ひ訳に必死。この中学生が本当に奇跡的に一命取り止めたのは本人ばかりか警察にとつても幸ひ。これが死亡であつたら。警察は暴徒の襲撃で警官が命を何う守るのかと力説してみせるが暴徒とはいへ武器といへば金属棒くらゐで飛び道具も遠くから火炎瓶放る程度。

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重装備の機動隊警官がそんな微力な若者らを暴徒と呼び暴力恐るやうでは余りの非力に言葉もなし。日曜日の騒乱で警察の豆袋弾だか当たつたインドネシア人記者は片目失明と弁護士が発表。警察への信用失墜著しく今日も昼時に中環で抗議集会あり。

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林鄭は昨晩、深圳経由で香港に戻つてゐるはずだが本来であれば本日、出頭して昨日の混乱につき何らかの手を打つなり事態収拾に向け発言すべきだが相変はらず雲隠れ。

大閱兵台灣必增兵 揪黑警解放軍增兵 - 林行止 - 信報網站 hkej.com

為了鎮懾「黑警」的部署 ,因為要平息當前這場風暴,成立獨立調查委員會揪出「黑警」,才能平民怨止民憤,而三萬警力既成為林鄭政府的唯一後盾,獨委會因此無法委出。在這種情形下,唯有藉解放軍的威望,才能令警方伏伏貼貼。如果北京有此意,讓駐港解放軍發揮當年駐港英軍的作用,港人和世人對北京的感觀,肯定從負面變為正面。

林鄭が「最後の頼み」とする三万の警察に対して独立調査もできずにゐることに対して林行止は(ワイルドカードではあるが)背後に解放軍を措き警察を再構築せよと提言するが臆病な林鄭にそれができるか。

香港的《愛中死》 – 古勒馬

古勒馬が昨日の中共国慶と香港騒乱で早速一文を上網。さすが今回も筆致優れ美文。香港の危機的状況、それへの憂ひ。そこで馬子はJessye Normanの訃報を持ち出してみせる。紐育の九月晦日は香港の十一。Jessye Norman独唱によるカラヤン指揮、維納フィルで1987年の歴史的名盤〈トリスタンとイゾルデ〉から〈愛中死〉。

 

聽過這首歌曲,我的「自我保護」系統好像突然間崩潰了。現在香港面對看不見出路的困局,給人的感覺就是我們熟悉的香港在邁向死亡。身為一個熱愛香港的香港人,面對現今的香港,就好像伊索德抱著死了的崔斯坦唱着《愛中死》一樣,由盼望唱到絕望,再默然接受。音樂奏出難以接受的絕望,但又卻不離不棄,念念不忘,依然眷戀和懷念着他以往的每一個微笑。音樂的淒怨,有如在描寫香港的命運。而香港示威者的付出,就好像歌曲的凄美意境。在唱過終曲後,最少能夠得到觀眾的掌聲,但是香港呢?示威者為了崇高的民主和自由理念,以死相搏。除了爭取五大訴求之外,在國慶日如此熱烈慶祝10.1,似乎《愛「中」死》也是不少示威者心底的一個願望。香港的示威者,除了得到部份香港人的支持和掌聲外,究竟最後又能得到些什麼?

古馬勒の心情、絶望のなかでの一些の希望……わかるところではあるが、これはもはや時評ではなく、この随筆ぢたいがまるで作品のやうな世界。政治運動はかのやうに美化、芸術家されるべきものではない。

▼テレ東の WBS (1日)での香港報道、WBSらしい深い報道ではあつたが、香港の対立する世論を「独立派」と「親中派」としたのには驚いた。思ひ込み報道。せめて反政府派と体制派くらゐの分裂とすべき。反政府派が香港独立派のはずもないのは誰でもわかると思ふのだが。

北朝鮮のミサイル発射。島根県沖に。報道で島根の漁民の心配の声。一人くらゐ「てやんでぇ、あんな見せかけの空砲」とか意見ってないものなのだらうか。かりにさういふ発言あつた場合、使はれることはあるのだらうか。