富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

G20 Free Hong Kong 集會

農暦五月廿四日。午後から快晴。黄昏時といふには夏至のあとでまだ日が長く明るい宵に中環の粗呆地区に家人と。

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今ではPMQなんて旧香港既婚者宿舎(Police Married Quarters)が消費場となり賑やかになつたが、その裏手にBridges St Marketといふ香港の公営街市でも恐らく最も鄙びた街市あり閑古鳥鳴き閉鎖。

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建物解体して再開発となるところが、この一帯、古き良き香港の町並みの風情あり街市裏手の永利街が1960年代の香港舞台にした映画で脚光浴び、この一帯の建物保存となる。そこでこの街市は建物はそのまゝで香港新聞博物館(HK News Expo)に。入場無料。

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なぜここが新聞博物館か?といへば香港でかつて中環からこの一帯に印刷業多く必然的に新聞社も集まる。小さい新聞社で創刊、廃刊も頻繁だつたが中文紙の大手・華僑日報(1925〜1995)がこの街市に近いHollywood Rdに廃刊直前の1995年迄あつたのも懐かしいところ。編集部と印刷所が併設でインクのにほひと輪転機の音。でこの博物館、あくまで建物保存が大切で展示はあまり期待もせずに出かけてみたら大間違ひ。展示内容の充実に敬服。各紙をジャンル別、政治的立場別、年代別に紹介。

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蘋果日報の1995年6月の創刊号。この新聞がそれからこれほど政治的に目をつけられることにならうとは。

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信報の創刊号も初めて読み林行止の創刊の辞も粗いコピーながら肉眼で読める。これ(上)は林行止氏の直筆記事原稿。

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1989年の天安門事件についての新聞報道の記録があまりにも充実してゐるのには驚く。政治的配慮や忖度なしか。

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六四のあと様々なニュースが交錯して伝はるなか結果的には誤報、デマだつたのだが人民解放軍が内戦となり鄧小平が毒殺されたとか李鵬が撃たれたとか(後者は事実を期待されたか)、それも当時かうした報道がされたといふことで堂々と展示。

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五四運動百年といふことで100年前の五四運動に関する報道、そして半百の1969年当時の五四運動五十年時の特集記事も、当時の政治的状況が反映され興味深い。紙媒体の新聞の展示に見入つてしまひ時間切れになつたがラジオやテレビの報道に関する展示もかなり充実。まだ完成してゐないが報道スタジオの模擬体験コーナーなどもあるやうで。香港が土地柄、歴史的に報道が果たしてきた役割を実によく紹介してゐる博物館。折りから、かのやうな香港の状況で世界の注目集めるなか偶然とはいへ貴重な機会。

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FCCに行きハンバーガー注文するが家人とこれを半分ずつ。それでも満腹。ハンバーグの上のベーコン(といふか薄切り豚焼肉だ)に野菜を添へポテトも食べてしまひハンバーグとバンズだけの実にシンプルなハンバーガーとなる。

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かういふ単純なものが実に美味いと思ふ。……で、さて、中環のエジンバラ広場へ。
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午後8時からの集会に黒シャツの若衆ら中心に今晩も数千人の市民が集まつて来てゐる。

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幹線道路も占拠とまではいかないが無法な横断で自動車通行妨げられエジンバラ広場に近い立体駐車場も集会参加者で溢れ自動車の退出も無理。さまざまな言語でのメッセージが続く。大阪でのG20直前で日本語でのメッセージは広東語、英語に続き(この映像では)1:05:10から。

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予定では午後8時から1時間の予定の集会は始まりも遅れ午後10時過ぎにお終ひ。あくまで世界に向け香港の現状をアピールする平和集会でアピール済ませ解散。これを実行する民陣の岑子杰君の力量は恐るゝべし。この集会でも冒頭で支聯會の李卓人がスピーチしてゐたが「中国の民主化」願ふ支聯會である。それに対して「我らは香港人!」と叫び賛同得る岑子杰らが大きな勢力なのだ。

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この集会は成功裏に終はつたが当然のやうに黒蟻集団はこれで収まらず金鐘方面に移動開始して金鐘過ぎて香港警察総部へ。数千人での包囲。活動家釈放求め警察に黒警、警狗と罵声浴びせ鶏卵を壁に投げつけ出入り口を塞ぐ。今晩は警察は外に防御の警官も立たせず黒蟻たちの好きにさせる忍耐。その後この包囲は午前1時過ぎには大方の参加者が散つたものゝ百人単位が残留。警察は午前3時半に彼らの一掃に警官が出て、但し胡椒スプレーも使はず警棒で威嚇しつゝ彼ら追ひ払ひ数十名が湾仔の修頓公園際で警察に囲まれ身元確認のみで放たれる。

逃亡犯条例騒動に押され余り話題にもならなかつたが復旧した立法会で、この会期末のドタバタの中で中環の海浜人民解放軍の軍用地にする件も審議日程の隙間を突き自動発効。元々、中環には英国軍からの引き継ぎで香港政府隣接に中環軍営あり。ここの海側の埋立地を軍用地にするもので香港“市役所”はヴィクトリアハーバー沿岸の海浜公園で、この部分が軍用地になつても沿岸の長廊(プロムナード)は維持されるので市民のレジャーには影響なし、と説明。香港がいくら特別行政区とはいえ外交と軍事は中央政府管轄で、これに抗議すると香港の一国両制どころの話に非らず。黒蟻隊諸君も行政長官弁公室まではデモしても隣の中環軍営には壁に落書き一つせぬのは賢明。

これも逃亡犯条例なければトップニュースなのだらうが元行政長官「貧官曽」の収賄の上訴審判決。終審裁の判決で“The top judges on Wednesday said being deliberate did not necessarily equate with being wilful.”なんてまるで禅問答。いくら読んでも司法のかうした判決はわかりにくい。

(星島日報、27日)前行政長官曾蔭權因瀆職而被判囚二十個月,去年雖獲減刑至一年監禁,但仍未能洗脫罪名。終審法院五位法官昨一致裁定曾蔭權上訴得直,定罪刑期一併撤銷,又因曾蔭權已服畢刑期,下令不作重審。曾蔭權纏訟五年,終洗去瀆職罪名,惟終院在判詞強調,若非原審法官引導陪審團商議裁決時的不足,上訴方根本無從推翻定罪,又基於重審不符公義要求,終院才決定不作相關命令。

つまり元行政長官「貧官曽」の特首退任間際の収賄に関する裁判、貧官曽は不正行為ありとして懲役20ヶ月の有罪判決で既に12ヶ月収監で出所してゐるが、その有罪判決不服とする上訴につき終審裁は下級裁の有罪判決を取り消し。但しすでに刑期を済ませてゐるため再審を認めず。無罪に当るのか?司法に暗いアタシにはよくわからない。最終的に贈賄側からの利益がどこまで実際に行政長官による利益誘導に当るか?で、これまでの裁判では裁判官から陪審員に正確な判断材料が提供されておらず、また貧官曽が引退後の住居に市場価格よりも低い賃貸料でマンション入居できた場合、それがどこまで贈収賄になるのか、も判断難しいところ、と。さうした点につき下級審の審査で不足があつたとすると、その判決に基づく再審上訴もできず、終審裁はさうした点も考慮での今回の「もうこれで終ひにしませう」判決?