農暦四月晦日。晴。日曜日。母と常磐線で土浦へ。普通列車のグリーン車で母と四方山話。何十年ぶりの土浦は駅前に大きな商業公共施設のビルが建ち駅舎も改築で開業したところ。駅前の大正五年創業の蒲焼きの老舗・小松屋は昔は外売りだけだつたが駅前の再開発で大通りの向かひ側に移転して今は店内でも食事出来、早めの昼餉。
国産天然のウナギは貴重。昭和40年頃の商店街地図懐かしく眺める。
土浦は霞ヶ浦に旧海軍航空隊があり軍人相手で料亭も多く桜町の廓街は戦後、風俗のメッカで今もソープランド多し。食後、駅から円タクで市郊外の蓮河原。コーヒーの店・ブラジルへ。
かつては市街の簡易裁判所近く、裏通の琴平通りにあつた?昭和44年だかに開業の珈琲店。平成の半ばに今のところに移られた由。市街のときは五坪ほどのカウンターだけの小さな店だつたが今の店に当時のメニュー看板などそのまゝで珈琲豆の容器まで同じ。
マスターは今年、米寿でも矍鑠としたもので喋り上手。容姿、仕草が大成駒のやう。昔語り。このブラジルにアタシを連れて来てくれた方も、いつもこゝに一緒に来た友人も共に鬼籍に入る。珈琲好きの母にはぜひこゝの珈琲を賞味したゞきたいと思つてゐたが母もとても美味しいといふ。銀座らんぶるの琺瑯製のポットは、この店でアタシが二十歳になる前に譲つていたゞいたもの。ランブル特製のポットは100か150個だかの限定で、その後は金属製になつたので琺瑯のものがどれだけ貴重か。かうした珈琲文化が後継なきこと寂しいかぎり。円タク呼んでもらひ土浦駅に戻り特急「ときわ」で水戸に戻る。母がかつて隣宅だつたI氏を郊外の高齢者施設に見舞ふので同行。卒寿で頭脳明晰。施設では日曜夕方で集会場所で懐メロのカラオケ大会中。部屋にまで煩い大音量はアタシなら難儀。自宅に母を送り駅南のファミレスでH君と旧交温める。スーパー銭湯に浸かり自宅で夕食。
このマスクメロン、四分の一もがっつり頬張つていゝのかと思ふが1個で1,000円もしないのだといふ。睡魔に襲はれ早寝。