富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦四月十二日

朝、令和どころか下手したら今世紀初?で銀座の「珈琲だけの店」カフェ・ド・ランブルのポットで珈琲を煎れる。

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このポット、高校生の時からランブルで使はれてゐるのを見て棚にも販売用に飾られてゐたが当時、何千円だつたか5千円以上はしたと思ふが欲しくて、欲しくて。それをカネもないのに清水の舞台から飛び降りる覚悟で「ランブルで」購入した……と思つてゐたが今、これを書いてゐてふと思ひ出したが、このランブルのポットを入手したのは銀座のランブルではなく確か茨城は土浦の「ブラジル」で入手したはず。ブラジルは私が十代の頃に土浦市街の簡易裁判所の近く、琴平通り?にあり、濃いくちの珈琲が好きだつたがブラジルだけは淡くも香り豊かな珈琲とマスターの東京での若い頃の話が面白く、役者の煙草の吸い真似なんてので、かなり楽しませてもらつた。確かランブルのこの琺瑯びきのポットはすでに販売中止で貴重なものを譲つて貰つた。湯口がとにかく念入りに作られてゐてお湯の切れが格別。ポットを持つた手のグリップの僅かな傾斜でお湯が糸のやうに出て、さっと切れる。的確なお湯の量がドリップの珈琲の的確な場所に落ちる。高校生の分際でよくも銀座のランブルや、土浦に遊びに行き、行けばブラジルに寄り……と遊んでゐたもの。茨城では勝田に本店のある今では全国区で馳名のサザ珈琲が昭和49年に水戸にも支店を出し、これが町内だつたので珈琲は美味しいが学校をサボって一服してゐるわけにもいかず藤田屋珈琲店といふのが数軒隣がツルヤといふ大きな書店があつたので学校をサボったときも放課後も本を一冊買つては藤田屋でハイライトの煙に咽せながら愉しい時間を過ごしてゐた。仙台での大学生時代は東北大の医学部横に「エスペロ」といふ老夫婦営む狭い珈琲店があり、こゝが仙台で一番の贔屓。本を買ふのは駅前の八重洲書房だつたので、そこの二階から直接入れる何といふ名前だつたか、その珈琲店は煙草を吸ひながら読書には便利だつた。以上、懐かしい昭和の頃の話。本日、早晩にFCCでK氏と軽く飲む。昨日、M氏と飲んだ時はウヰスキーと別に缶ソーダを貰つたらSchweppesだつた。この炭酸はアタシには舌にきつい。M氏が「ペリエとか」と言つてゐたのでペリエハイボールにしてみる。

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確かに、こちらのほうがずつと柔らかい。ちょうど読んでゐた山口瞳のエッセイで瞳先生が昭和38年にサントリーの『洋酒天国』に書いた「ウイスキーの飲み方」に炭酸ソーダの話がある。炭酸水を年寄りに飲ませると「なんだ、平野水ぢゃないの」と言はれる、と。兵庫の平野は天然の炭酸水が出て、これが三ツ矢サイダーになるのだが日本でソーダといへばウヰルキンソンソーダもあり、後者は同じ兵庫でも塩瀬生瀬で、平野と生瀬は20kmほどの距離。K氏は「ハイボールといへば浅草で、ほら、あそこ」といふので「あ、浅草さんぼあ」とひとしきりサンボア談義となる。

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晋三が畏れ多くも聖上への内奏や、苟も肖像権に厳しいジャニーズのTOKIOとの私的会食で、その画像を勝手にSNSとかで公開するのは何といふ唯我独尊ぶりか……呆れるばかり。