富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

新帝践祚

農暦三月廿七日。労働節。天気予報では一昨日まで今日は暴雷雨とされてゐたが午後には雨も降らぬどころか午後は晴れる。朝から劍璽等継承之儀をNHKのテレビ中継で拝見。

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本来これで皇位継承されたわけだが政府決定では本日午前零時に新天皇即位、改元されてゐるのであくまで劍璽等継承だけでNHK等の中継でも「天皇即位」といへず何だか中途半端な儀であつた。続く即位後朝見之儀。新天皇の言葉で「憲法に則り」は殊に語気強し。午後ジョギングするがかなり暑い。成島柳北柳橋新誌』』やつと読了。

柳橋新誌 (岩波文庫)

柳橋新誌 (岩波文庫)

 

 これは原本漢文のところ訓読で岩波文庫昭和15年初版が1987年に再販となつたもので、これをだう入手してゐたのか記憶も定かでないが漢文原本の復刻版もあり、これも手許にあつたはずだが整理の悪い書架で見つからず。

もしかすると香港大学の図書館に寄贈してゐた鴨。訓読で更に寺門静軒『江戸繁盛記』に倣ひ「短哇新詞」に「ハウタハヤリモノ」だとか「兒の戀々瞻望するを説く」に「アレガヲマチマウシテヲリマス」といつた戯訓も実に面白いところ漢籍に明からずとも多少漢文の素養あれば無理に詞一つ/\和訳せず漢意で読めば、それほど難儀せず。幕末に幕府の儒官であつた柳北が維新で薩長の府に背を向け柳橋の風流を説きつゝ世俗を厭ひ荷風散人も亦た然り。この気持ちがよくわかる今日この頃。日本のテレビどころか香港のニュースでも新天皇即位と改元の報多く、まう食傷気味で気分転換に乱歩『黒蜥蜴』何度目かで再読。三島の戯曲でも読みたいが、これも書架で何処か見当たらず。労働節の祝日ながら競馬開催は通常の水曜通りHappy Valleyの夜競馬。日曜日の競馬での大当たり仕返しのやうにさっぱり当らず。

(社説)即位の日に 等身大で探る明日の皇室:朝日新聞デジタル

代替わりを受け、いよいよ検討が迫られるのが、皇室活動をどう維持し、皇位を引き継いでいくかという年来の課題だ。
30代以下の皇族は7人しかおらず、うち6人が女性だ。結婚すると皇籍を離れる決まりのため、野田内閣は7年前に「女性宮家」構想を打ち出したが、直後の政権交代で登場した安倍内閣は検討を棚上げした。
さらに深刻なのは皇位継承者の先細りだ。今のままでは、秋篠宮家の長男悠仁さまが伴侶選びを含めて、皇室の存続を一身に背負わされることになる。その重圧はあまりに大きい。
男系男子だけで皇位をつないでいくことの難しさは、かねて指摘されてきた。しかし、その堅持を唱える右派を支持基盤とする首相は、この問題についても議論することを避けている。日ごろ皇室の繁栄を口にしながら、実際の行動はその逆をゆくと言わざるを得ない。
国会は退位特例法の付帯決議で、政府に対し、法施行後、この問題について速やかに検討を行い、報告するよう求めた。
天皇即位でお祝い気分が社会を覆う。その陰で、天皇制は重大な岐路に立たされている。

(多事奏論)天皇と首相 孤高に寄り添う者として 駒野剛:朝日新聞デジタル

本来、天皇は孤高の存在だ。国民のため一人祈り続ける。「統治権ヲ総攬(そうらん)スル」旧憲法も、「国民統合の象徴」とする新憲法も孤高の立場は変わらない。在位30年で感極まって声を詰まらせた上皇さまを見て、孤高を耐え続けられた歳月の重みを思う。
新たな天皇陛下の日々が始まる。政治家、特に宰相は静かに寄り添い、難事は担ってもらいたい。だが、できるだろうか。
テレビで新元号の宣伝に相勤める一方、首相の側近が「令和になればワイルドな憲法審査を」と高言する有り様を見て、天皇をどうするつもりか首をかしげた。少なくとも股肱、柱石の振る舞いではあるまい。

▼ (朝日新聞「社会の統合、皇室頼みに危うさ」原武史

本来政治が果たすべきその役割が、もはや天皇と皇后にしか期待できなくなっているようにも見える。そうであれば、ある意味では、昭和初期に武装蜂起した青年将校が抱いた理想に近い。民主主義にとっては極めて危うい状況なのではないか。

ちなみに皇室への親近感は1980年代には4割だつたものが平成での両陛下のなさりやうの結果それが8割なのだといふ。好事のやうだが、これが皇室への他力本願指数だと思へば皇室への親近感小さく「天皇制などなくとも自分たちでやつていける」の方が余程健全なのかも知れぬのだが。ビデオニュースドットコムでマスコミに出ずつぱりの原武史先生ゲストの「今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと」を見る。

今上天皇が2016年8月8日のいわゆる「おことばビデオ」で退位の意向を表明した時、陛下から日本国民に向けて多くの球が投げられたとわれわれは考えるべきだと言う。われわれは一人ひとりがその球を受け止めた上で、その内容をしっかりと吟味し、議論し、何らかの形でその対応を決める必要があったが、政府の有識者会議を含め、そこでも日本中が思考停止に陥ってしまった。
「陛下がそう言われているのだから、その通りにすべきだ」というのでは、象徴天皇制はおろか、戦前と何ら変わらないではないかと、原氏は指摘する。
実は今上天皇はそのおことばビデオの中で、「象徴としてのお務め」を自ら定義している。象徴天皇制の日本にあって、憲法に定められた「象徴」の意味するところが具体的に言葉になったのは、恐らくこれが初めてのことだろう。
陛下は象徴の役割を、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」の2つだと明言した。前者は宮中祭祀を、後者は日本中を回る行幸行幸啓を意味していると考えられている。そして、その2つが満足に果たせなくなる恐れがあるために、退位したいと申し出た形になっている。
もっとも天皇本来の役割は憲法6条、7条に定められた「国事行為」に限られている。今上天皇・皇后が重視してきた、大きな災害時の被災者の慰問などには、法的な根拠はない。これこそが今上天皇が自ら定義し、そしてその実践を通じて形にしてきたまったく新しい象徴天皇像だ。そして今、陛下自身が、ご高齢や健康問題のために、自ら定義した象徴としての役目を果たせなくなる怖れがあるとの理由から、生前退位、そして譲位の意向を表明し、政府は一応は有識者会議の決定という形を取りながらも、事実上そのご意向をそのまま受け入れた形となっている。
今上天皇は自らの存在を政治利用されることをことさらに嫌っていたと考えられている。天皇皇后両陛下が地方を行幸啓されるとき、日没後に両陛下の滞在先の宿の前に大勢の市民が提灯を持って集まり万歳を三唱する「提灯奉迎」なる儀式が、陛下の行く先々で行われていたことは、あまり広く知られていないようだが、両陛下はやや宗教色も帯びた印象を与えるその儀式を避けるために、意識的に日帰りの訪問を増やしていたのではないかと原氏は指摘する。また、陛下の訪問先の近くに自衛隊の駐屯地があると、大勢の自衛隊員が沿道沿いに直立不動で整列して陛下を迎える「自衛隊の堵列」なども、当たり前に行われるようになるなど、右派による天皇の権威の強化が、陛下の意思とは無関係に進められてきたことも事実だ。
これに対し、今上天皇は大地震や台風被害が発生するたびに被災地を積極的に回り、被災者や避難中の人々一人ひとりの前に正座をして、彼らと同じ目線で語り合うことで、高いところから民を眺める権威としての天皇像ではなく、国民と一対一の関係を築くことで、自ら定義した象徴としての務めを果たそうとしてきたと原氏は言う。
30年にわたり今上陛下が果たしてきた、自ら定義した象徴としての役割は、恐らく多くの国民の支持するところだろう。しかし、陛下がご高齢を理由に生前退位を申し出なければならないほど多忙に動き回らなければならない状態を作ってしまったのは、いったい誰だったのだろうか。国民はそれを陛下まかせにしておいて、単にありがたくその恩恵を受けているだけでよかったのだろうか。
更に言うならば、世襲憲法によって定められている天皇、ならびに皇族には、われわれ国民が享受している職業選択の自由言論の自由といった、基本的な人権すらも保障されていない。にもかかわらず、政治利用されることを自ら抑止し、象徴としての自らの役割を定義するために、苛酷と言っても過言ではない公務のスケジュールをこなさなければならないような立場に置くことに、問題はないのだろうか。
民主主義・主権在民の日本にあって、何が望ましい天皇制かを最終的に決めるのは言うまでもなく国民だ。国民にはその権利があると同時に、その義務も負っている。われわれがその議論をタブー視したり、それを避けてきたことで、結果的に天皇を始めとする皇族に多大な負荷がかかっていることも今回明らかになった。また、相変わらず皇室を政治利用しようとする勢力が根強く残っていることも直視する必要があるだろう。
いずれにしても、5月1日から新天皇が即位し、新しい時代に入る。新しい御代を祝う一方で、平成が残した様々な宿題を今、議論せずに、いったいいつ議論するというのだろう。一番足りないのは、われわれ一人ひとりがもう少しこの問題を自分の問題として受け止め、考え、そして議論することではないか。