富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

広州、小米(xiǎomǐ)

農暦二月十四日。薄曇。朝食かはりに香港から持参の文明堂のどら焼き頬張る。朝7時から開いてゐるはずのヘルスセンタに行くと閉まつたまゝ。部屋で宿泊案内見て見ると利用の場合は事前に電話予約を、とあり。つまり誰も利用しないなら開けないのは合理的か。鉄道切符は窓口に何時間も並び押し合ひ圧し合ひ小さな窓口に現金を抉じ入れ切符を入手し数日後の列車を確保したのは過去のこと。高鉄でその日のうちに大陸を縦横無尽に移動できるのだから站前旅館の必要性も薄れて宿泊需要も減り経営も難しいところか。昨日に続き今日も半袖のポロシャツで汗かくほど。今日は広州本站から地下鉄5号線で一駅の小米へ。地下鉄に乗るたびに潜るセキュリティチェック。混雑してゐると列になる上に未だに我先にと少しでも前に割り込まうとする連中にうんざり。広州本站でアタシの前に潜った幼子連れの若い母親はさっさと自分が進んでしまひ幼子は放つたからしで幼子はゲートでうろうろしてゐた上に荷物チェックのベルトコンベアから荷物を受け取つた母を真似て自分もアタシの荷物を受け取らうとする。ベルトの巻き込み口あたりに手をついたものだから手が巻き込まれさうでアタシは瞬間に幼子の背中を引きずり自分の荷物を取り、ひやひや。こんなところで物盗り等ゐないと思ふが誰もが自分の荷物の受領に必死で、この母親もそれに気を取られてばかり。アタシが幼子を退けて荷物を取つたのを見たものだから母は幼子に「何をしてんの!」と怒り娘は泣き出し、その上でこんな子どもが荷物に触らうとしただけなのにアタシがそれを押しのけて荷物を取つたものと誤解。アタシの方にさんざん悪態示してみせるがアタシがそれを無視して歩き改札を抜けると未だ怒つて「あの白いシャツの男!」と怒鳴つてゐる。地下鉄の職員が来てアタシを引き止める。あの女性があなたが娘のことをつかんで退けたものだから背中に赤い痣が出来たと怒つてゐる、と。通りかゝりの世話焼きのオヤヂも割り込み「何が起きたのだ」と。アタシが職員にセキュリティチェックで母親が娘を構はベルトコンベアに手を挟まれさうになり、どれだけ危険だつたか、それで咄嗟の判断で娘を退けたのだ、と説明すると職員も世話焼きも状況理解したやう。その場を離れやうとすると母親の怒りは収まらず職員は私らを追いかけてきて「戻って」と請ふ。一言、謝つてといふので謝る筋合ひなどないが母親に「申し訳ございません」と嫌味たらしく慇懃無礼に申して「子どもも小さいのだから、ちゃんと見てないと危ないよ、この手がベルトコンベアに巻き込まれたら大変なことになつた」と諭すと母親はメンツの問題で未だあれこれ捲し立て怒り心頭だが無視して、その場を立ち去る。不愉快千萬。小米へ。昨晩訪れた三里元がアフリカ相手の繊維なら、こちらはさらに扱ひ品目の多いアフリカ相手の商業地域。小米站を出ると新泓匯商貿城を中心に「まるでアフリカ」。

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街路に面した飲食店も回教徒相手。元々、中共は新疆を併合し回教徒も漢族にもゐるわけでハラルの飲食店経営も珍しくないが、それがこの小米では中近東から北アフリカの人々多きエリアでは繁盛する。一軒のトルコ料理屋に入り早めの昼餉。

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このアラブ&アフリカの人たちの生活を見てゐると商行為も男は男、女は女でトルコ料理屋も仲間内の男連中ばかり。食後、外に出ると霧雨。傘もなかつたが濡れる程でもなく路地に入ると暗渠が川となり都心でかつてはドブ川だつたのだらうが環境整備できれいな静水が流れ川岸も遊歩道を整備して立派なもの。

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これは評価されるべき環境美化だが中共の場合、環境整備は自然環境、都市環境に留まらず市民生活での思想信条までだから。このあたり北园社区。しばらく歩くと広州四大酒家の一つ北园酒家が落ち着いた寺社かと思ふほどの立派な門構へ。越秀北路の閑静なマンションエリアを抜け越秀公園の南の接龍社区へ。古い集合住宅群と路地に並ぶ小さな商店、鬱蒼とした樹木がとてもいゝ感じ。應元路を渡り南の天香社区、三友里社区へ。路地から路地を歩く。東風中路まで出る頃に雨が本降り。西行きのバス停があつたので適当に来た路線バスに乗り地下鉄でいへば西場站に接する和平新村の団地へ。雨は幸ひ歇んでくれたが、かなりの本降りだつたやう。こゝは整備されすぎてゐて路地もなし。環市西路からまた北行きの路線バスに乗る。内環路は広州站に向かふロータリーがかなりの渋滞。路線バスは北へ、昨晩訪れた三里元の方へ。昨晩に比べると昼間はアフリカ人相手の問屋街もそれほど賑はつてをらず。三里元で昨晩歩いた高架道路の西側とは反対、東側に昔からの三里元村あり、そこへ行つてみることに。バスを降りると此処は清末に抗英闘争盛んだつた場所で記念館などあり。そこから村の中央を南北に抜ける通りが「抗英大街」なんて名前で古い建物をそれなりに古めかしく改修して、そこに土産物等売る、どこにでもある歴史的名所を観光化した商店街あり。そんなところは興味もないので路地から路地に入る。

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500m四方ほどの村には三、四階建ての建物が隣接する建物とほんの30cmほどの隙間で林立し、いつたいだうやつて建てたのか不思議だが、この狭いエリアにいつたい何万人が暮らしてゐるのかしら。それでも薄暗い路地は風通しもよく涼しげで住民がのんびりと歩き店々も開いてゐるのか店員が昼寝してゐたりのんびりとした風情。路地はあちこち行き止まりばかり。村を出たいが迷路にまよひこんだやうでなか/\進めず。やつと一本だけ村を西に出る少し太めの明るい通りに出て三里元の地下鉄站へ。旅荷預けてゐたホテルに戻る。ロビーには衣料品など買出し客の荷物多し。一人で大きな段ボール箱14、15個もある客が、これを狭い客室でどう整理したのか大したものだがホテルの職員が「預かるには荷物が多すぎる」と困つてゐる。地下鉄で10站も乗つて広州東站へ。広九鉄道の列車は客席は半分ほどしか埋まつてをらず。やはり高鉄の影響なのか。通路挟んだ席の老夫婦があまりにうるさいので空席に移る。香港に戻る。二日間、広州のアフリカと市街地に再開発を逃れ未だ残る路地のある生活域をすつかり堪能。いずれも中上健次なら面白い物語にするところだらう。