富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

広州三元里

農暦二月十三日。薄曇。MRT荃湾線は金鐘〜中環間が今日も不通。港島東から紅磡に路線バスで往くのに直接の影響ないものと思ひつゝ少し早めに家人と家を出る。紅磡の驛舎も沙中線乗り入れで工事中だがコンコースは何も変はり映へもせず。広州まで相変はらず我々には高鉄に乗る選擇はなく広九鉄道の直通車で08:15発の上り始発は広州市街に往くには便が良いからだらう結構な混雑。車内の冷房キツく防寒具とマフラー、マスクで暖をとる。

f:id:fookpaktsuen:20190320113222j:image

今日は深圳から中共に入るとVPNが使へる。広州東站に到着。鉄道では一つ先の広州站に行きたいのだが鉄道はもはや長距離旅客運輸に特化されてをり広州東→広州行きがない。正確には東站発で広州站にも止まる長距離列車もあるが、この数分間のために寝台車や軟坐の切符手配するほどのは酔狂すぎる。となれば地下鉄だが地下鉄も広州東站から1号線で人民公園前站乗換へで2号線で10站もかゝる。

f:id:fookpaktsuen:20190320113333j:image

路線バスも直通はなく広州站手前の越秀公園までで、そこから歩くことになるが今日は気温摂氏28度まで上がるといふし大気汚染もひどく運悪くダンヒルのキャリングケースのキャスターが片方ゴムの劣化あり。地下鉄で広州站へ。広州本站に来たのは20数年ぶりかしら。広州に来ても東站に近い珠江新城あたりばかりで旧市街に来る機会がまず、ない。広州站といへばかつて数万の「盲流」と呼ばれる当てもなき出稼ぎ者たちが屯して社会問題となつてゐたが今では就労の機会もアプリの時代。広州站前は盲流などゐる場所もないほど公安が広場を管理して鉄道切符を持たなければ站前広場から站社にも近づけぬほど。かつては站前に立つと広い内環路の対面に流花賓館といふ大きなホテルがあり広州に到着すると目立つ建物だつたが今では高速道路が遮り周囲の建物も高層化され流花賓館も目立つことはない。今日の宿泊はこゝ。老朽化した驛前ホテルで選択肢にしづらいが家人のCXのマイレーヂポイントの残り僅かあり広州で見たら、この古いホテルがやつと1泊で今回は温故で(とても知新とはいへない)20数年ぶりにこゝに投宿。前回は確か西安から広州に鉄道で戻る際に内陸の大雨の影響で揚子江が記録的水位上昇、武漢一帯から水害に見舞はれ我々の乗つた列車も揚子江渡れず足止めされた時。半日近く漢口で寝台車で復旧待つたが目処も立たず武漢〜広州の切符を捨て漢口に降り駅前のホテルに部屋を取り航路は鉄道網混乱の影響で混雑してゐたが翌日の広州行きの席が確保でき広州へ。香港に戻る広九鉄道の夜便に間に合ふかどうかも不確かで当時はまだ広九鉄道も東站開業前で本站発だつたため武漢から広州の白雲空港に到着して、このホテルにへとへとで逗留したのであつた。当時のホテルはいかにも社会主義モダニズム然とした外観だつたが今は正面だけミラーウォールにして余計にチープ。チェックインは午前11時過ぎだつたが客室宛がつてくれ下榻。


f:id:fookpaktsuen:20190320113414j:image

f:id:fookpaktsuen:20190320113418j:image

床のコンクリートに張つた絨毯はすでに薄煎餅のやうに毛羽もなく壁紙もあちこち捲れが目立つ。無賃での宿泊であるし「かういふものだらう」といふ予想を確かめるやうな宿泊なので驚きもせず。昼過ぎに出街。人民北路を南に歩きだすと思ひ出すのは35年以上も前のアタシの初中国の旅。朝、香港を出て深圳経由で午後の二時過ぎだらうか6時間!かけて広州に到着し広州站から重いリュック背負つて、とにかく珠江沿岸まで歩かうと歩き出す。満足な地図もなく猛暑に重い荷物で流花公園を過ぎ東風西路辺りまでは歩いたのだらうか、そこで「絶対に乗らない」と決めてゐた当時は珍しかつたタクシーに乗つてしまつたのである。今は昔。人民北路は站ちかくは站に向かふ一方通行だが站南路まで来ると南行きの路線バスがあり、それに乗り旧市街の中心に近い広州市第一人民医院で下車。広州の名刹・光孝寺の門前へ。この浄慧路は文字通り仏具や精進料理店など軒を並べる。東へ漫ろ歩く。珠海北路越へると路地に「利工民」あり。

f:id:fookpaktsuen:20190320113437j:image

1922年に広州で創業の肌着老舗。戦後は香港で成功し香港ブランドとなつてゐるが、それの本舗が此処。香港は香港製造が売りで、こちらも広州製造でやつてはゐるが香港の分店にお株取られてゐる。この一帯は清末から民国時代の広州の中心地で古い建物少なからず。

f:id:fookpaktsuen:20190320113511j:image

南北は解放北路、東西は中山路越へると人民公園こそ緑地を保つが商業区域で歩行者天国の通りに大型店並び中国のどこにでもある消費場所。此処にも大佛古寺といふ古刹あるが中山路側には唖然とするほどの仏教風高層建築あり。

f:id:fookpaktsuen:20190320113502j:image

これでも上海の静安寺の開発に比べたら、ずっとマシ。北京路の商業地域歩いてゐても目眩するほどなので路地から路地へと。路地裏のお世辞にも美味しいとはいへぬ福建料理で遅い昼餉。路地はまだ相変らず昔の中国のまゝで、そこにカフェやかなりのレベルで欧州文学・哲学、中国の民国期の文学者・思想家の手記や書簡集、日記等揃へた書店もあり。

f:id:fookpaktsuen:20190320113728j:image

路地から路地を抜け人民公園の北にある広州市政府横から中山記念堂に辿りつき、そこから地下鉄で2站なのだが站前のホテルに戻る。夜は三元里へ。広州站から地下鉄2号線で1站の一等地で昔から衣料関係の問屋多し。そこにアフリカからのバイヤーが押しかけるやうになり「広州のアフリカ」と脚光浴びた一帯。アフリカ人相手の問屋街に入ると中国人は問屋や運送関係だけで路上や店先はアフリカ人のほうが圧倒的に多数。

f:id:fookpaktsuen:20190320113754j:image

飲食店もアフリカ火鍋だとかモロッコ系ファーストフードなど。繊維問屋が軒を並べた大きな集合ビルの横のスロープ降りた地下にあるアフリカ料理屋に入る。中国人の経営者らしき女将はアフリカ人の客や従業員を見渡してみせ「此処はアフリカ料理だけど、わかってるの?いいの?」とアタシらに念押し。

f:id:fookpaktsuen:20190320113816j:image

ナイジェリア産のラガービールが美味い。アフリカ産のビールはこれだけで他にも並ぶ缶はいくつもがノンアルコールの麦芽飲料。やはりイスラム教で酒を飲まない客が多数。


f:id:fookpaktsuen:20190320113858j:image

f:id:fookpaktsuen:20190320113853j:image

f:id:fookpaktsuen:20190320113848j:image

トマト味で煮た鶏肉料理と野菜、煮豆で白飯。三里元は清末から民国時代にかけ広州では北の城外で蜂起や活動の拠点となつた一帯。集落も未だ再開発を逃れリゾームのやうな一帯を歩く。十三夜の月。スマホで見たら今日は15kmも歩いてゐた。ホテルに戻りヘルスセンターのサウナに一浴のつもりが案内では23時までとある施設は22時でもう終ひの時間だといはれる。