富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦正月初十

農暦正月初十。快晴。陋宅水漏れ問題。一旦は解消された洗面所外、廊下への水漏れがひどい。

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これはある程度予想されたことで壁の中の水漏れ場所に貯まつてゐたコンクリート片や泥を汲み出した結果、洗面所外に流れる方向に水が以前に増して流れ出してゐるからだらう。管理事務所の青二才、アタシが電話で昨日の状況説明して青二才の同僚に送つた(青二才の携帯は「非通知」で番号がわからない)映像と画像見ろ、と言つたら「わかった」……だけど「その画像と映像を撮る前にちゃんと漏水を拭いてから撮影したのか?」と。こちらは呆れて無言。そのあともう一度電話して明日以降の当方で在宅可能な時間帯を連絡すると青二才は「昨日は上水道は止めたがトイレの鹹水(海水利用)は止めてないので、その可能性もあるから」と宣ふ。さすがにアタシもキレて「冗談は程々にせよ、鹹水のパイプは位置も違へば漏水もなく、私がすでにインクで濁つた水を流し、貯まつた水が鹹いかどうかは貯水を舌で舐めて確認したろうがっ!」と怒ると青二才もさすがにビビつたか「上司と確認して連絡します」と……結局これしか言へない。青二才は午後に連絡するといひつゝ連絡もなく伝言残しても居留守でも使つてゐるのか午後5時半に管理事務所に行くと青二才は担当の現場に出てゐるといふ。伝言残し事務所の閉まる午後6時に電話すると電話に出た職員は青二才は「退勤した」といふ。組織ぐるみの虚言は日本政府の如し。30分前に現場にゐて伝言残したのに電話もなく定時で退勤したなど誰が信じようか。遠出ならわかるが事務所の前を通つて直帰か(笑)……居留守使はず電話せよ、と命じると数分後に電話あり。いま営繕担当者と協議中だといふ。で実際の補修工事は専門の業者の都合つかず来週土曜と宣はれる。呆れて言葉もなし。改修は先で良い、いま必要なのは水漏れがシャワー跡のスラブばかりかトイレ、そして廊下にまで流れて出てゐること。それを先ず応急措置すべき。「この部分のコンクリートを削り漏水ができる限りシャワー跡のスラブに流れるやうにすれば良い」と画像送る。

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それなら専門業者ぢゃなくともできるだろ、よく考えろ!と叱り電話を切つたが青二才と、あの「面倒な工事はしたくない」営繕担当のオヤヂが真っ当に考へる筈もない。そこでご丁寧に実測までして、どういふ構造が手書きのドローイングまで付けて送つてやる。

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青二才は「明朝、見に来る」と言ので「見に来るなら来るな、ドリルとか道具持って来い!」と叱る。アタシも家人も連日のこの対応でヘトヘト。春節挟んだとはいへ管理事務所の青二才に最初に連絡とつてから10日である。その間に何の進展もなければ善後策を考へることのできない彼らに言葉もない……といふわりには連日よくこれにあれこれ文句をつけてゐるアタシもかなり変態である。

▼毎日のやうに内田百閒のことを綴つてゐたが、この日剩も長く愛読してくれてゐる人形町S嬢よりメールいたゞき百鬼園の興味深い話を聞く。S嬢も百閒好きで何冊もお読みになつてゐる。それも旺文社文庫のものは正字正仮名で浦山しい。また福武文庫版も。その両方とも百鬼園のこれを装丁したのが田村義也(1923〜2003)で、岩波書店で(1948年に岩波書店初の公募社員のとき)その後『世界』や『文學』の編集長もつとめながら装丁家でもあり。この方がその傍ら武蔵美で講師もされてゐたさうでS嬢の恩師ださう。S嬢は某専門雑誌で働かれてゐるが大学の卒論が「看板建築」などについてで田村氏から看板建築の写真を貸してほしいと請はれ、それが文庫本の表紙絵に使はれたこともあると聞く。S嬢の指摘で、その通りだが、いつまでだらう?百閒の「門」構へに「月」の「閒」が返還できず「百間」や「百けん」と間抜けだつたのは……いつの間にか「百閒」になつてゐた。
▼日本での豚コレラ。愛知県で養豚に感染がひどい由。知事と県庁の小役人らが地元の自衛隊の幹部呼び協力要請ださうだが、地震や台風の被害でもあるまいに、なぜ緊急作業用の作業服を全員が来てゐるのか不思議。これから感染のひどい養豚場で自ら作業でもするのかしら。そもそも「ヒトに感染しない」「感染した豚の肉を食べても害がない」で「過去には全国的に感染した」事実もあるものに、だうしてこれほど騒ぐのか。不安煽つての晋三と同じ手法か。不安煽るといへば麻疹。致死、不治の病ひぢゃあるまいに大阪の阿倍野ハルカスではヴァランタインフェアの売り場で売り子二人が感染してゐて客に感染広まる懸念とか、新幹線で乗客に感染が発見され、その「のぞみ」の運行情報も開示しての感染防止呼びかけ。この国は狂つてゐる。

▼狂つてゐるといへばお財布携帯でのキャッシュレス化。NHKのNW9でも数日前に日本のキャッシュレス化が韓国や米国、中国と比べどれだけ遅れてゐるか、これを2025年までには……これにより紙幣や硬貨の流通維持するためのコストが何十億円削減されるなんて前向きな報道あり。経産省のビジョン受け売りでキャッシュレス化推進により店舗の無人化・省力化は元より不透明な現金の流通を抑えることで税収を向上させ支払いデータを基にした消費の活性化期待できるといふさまざまなメリット強調。政府はその結果「国力強化につながる」と謳ふもの。賛否は別としても少なくとも中国より10年の遅れで、しかもこのキャッシュレス化がAlipayとWeChatの二社に寡占化された中国に対して10社ほどと交通カードで数多く収拾つかぬ日本。香港の場合はスマホ以前に交通カードのオクトパス普及が早く未だにこれの天下だが。この未来明るいキャッシュレス化に警笛鳴らすのは浜矩子さま。
特集ワイド:キャッシュレスは万能か 浜矩子さんが異議 電子化で人がアホに? - 毎日新聞

「遅れている」という表現は、それを進めることが正しいという大前提。確かにキャッシュレス化が進めば紙代や輸送コストは掛からなくなるが紙幣や硬貨を使う「物理的現金」の世界を姿形が見えない「電子通貨」の世界に追い込んでしまうことが絶対に正しくて必然性があると言われると何か下心がありそうな気がして仕方ない。例えば中国の急速なキャッシュレス化は権力による監視を容易にし国民一人一人の資産を掌握したいという魂胆が垣間見える。
そもそも「キャッシュレス化」という言い方が間違っている。電子的にキャッシュ取引をしているだけで現金が無くなったわけはない。紙幣などの物的取引なら誰が何を買ったのかは第三者には分からない匿名性が確保されるが電子取引ではシステムを管理する人たちには取引内容が見え全くプライバシーがなくなってしまう。
(ジョージ=オーウェルの『1984』は、なるべく言葉を簡素化することで緻密に物事を考えられない国民をつくり支配しようとする世界。現金の電子化にも同じように人間を思考停止に追い込む面がある。人間は目に見えるものから表現力を身につけていくのだから電子化が進めば便利さとは裏腹に人間の脳は退化して確実にアホになる。

とバッサリ。かうした柔らかい全体主義のやうな中で国民がいかに騙されてゐるか、と浜先生は国債を例にとる。

「日本国債の9割を日本人が持っているので売らない」という政府の話は真っ赤なウソ。ここで言う「日本人」の半分は日銀で、残りはほとんどが銀行や生保などの法人や機関投資家。彼らは当然、投資主への責任がある。今のような量的緩和政策を続けて財政赤字が膨らみ続け日本国債が投資不適格債に格付けされるような事態になれば確実に売る。

(以下、毎日新聞記事からの引用)浜さんは前述の新著で<通貨は、人がそれを通貨だと認定しなければ、通貨にならない>と説く。人の信頼こそが「通貨の正体」だというのだ。円や日本が信頼性を失ったら通貨としての価値も暴落する。そうなれば自己防衛のため海外への資産移動が加速するシナリオが現実になるのか。「国は、海外への資産移動を抑えるでしょう。電子マネーならすぐに止めることができます。仮に全ての現金が電子化されてしまえばダークな政権が現れた時、預金者が金利を払わなければいけないマイナス金利政策を個人の口座にまで広げマイナス幅を深掘り(拡大)することで容易に庶民の資産を引きはがすこともできます。通貨の電子化というのは、国家が強制的に経済活動に介入する統制経済のツールとして、これほど便利なものはない」と語る。通常国会厚生労働省の統計不正問題で大揺れだ。「統計も通貨も信頼性があるから国民に認定される。信頼性を守る、裏切ってはいけないというのが公僕の誇りなのに、その意識が薄れているのではないでしょうか。今の日銀も「通貨の番人」から政府のための「専任金貸し」になっている」と断じる。政府が吹く笛に「キャッシュレス化万歳」と踊らされていていいのだろうか。

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この画像⇩は怒れる浜矩子のコメントを象徴するものではない。【街市尋寶】上環80年老字號專賣新鮮羊肉 最嫩滑羊頸肉 羊內臟都有! | 2019-02-12 | 飲食男女 | 蘋果日報より。

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どんなモダンアートも、これには負ける。何たる造形美。かなりグロテスクなはずなのだが、それがグロテスク超越して象徴的な美に昇華してしまつてゐる。