富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水餃皇后病逝

農暦正月初八。快晴。香港の学校はやつと半分くらゐが正月休み明けか。連日の陋宅水漏れ問題。今朝、Amexから手配で春節休み中に来てくれた親方が洗面所の壁タイルを穿つ作業。そこ壁の向かうに「飛鳥時代の遺跡基礎の木(モク)建材か?のやうな朽ちた外観の鉄管が覗かれる。

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親方はこのパイプからの水漏れが原因だ、と言ふが、この赤錆びた鉄管のわずかな滴は結露か、この程度の汗であれほど水漏れがするはずない。しかも漏水は清水なのである。夕方になりマンションの管理事務所の青二才が同僚のメンテ関係の親方らと来るが相変わらず頓珍漢でトイレの排水(海水)の漏れと疑ひ階上のトイレを流してみるとか、下水の排水の逆流だとかワケがわからない。それをいち/\アタシが「これがかうだから、かうなるわけながない」と否定するものだから親方は不愉快さうでスラブに貯まる水を一端すべて抜いて、あらたらためて漏水がどこからか確認しないと等と宣ふものだから、それは墨水の実験で明らか、何を今更とアタシが嗤ひ「はい/\、やれといふならやりますよ、どいて、どいて」と言つたものだから親方らは怒つたのか「他の現場へ行く」と出ていつてしまひ取り残された青二才は理屈っぽいアタシ相手が苦手でおどおどするばかり。別の現場の約束がある、と出てゆき30分後に戻つて来ると(作業する親方の前では黙つてゐたくせに)清水であるのは事実、マンション側の基礎設備の水道管からの水漏れも否定できないと言ひ「同僚、上司とも確認します」でお帰り。二進も三進もいかぬが、かうしたことの嫌ひでないアタシは、その洞窟を前に考へるまもなく洞窟の中が30余年前の建設当時からの!廃材や(かうした見えないところに何でも捨てて掩つてしまふのだ)、今日、Amexから手配の親方が穴を開けたときの煉瓦やコンクリートの破片など瓦礫のやうに鬱積してゐるので、穴に腕を突っ込み、それを片づける。さうすると(iPhoneのビデオもライトつけると便利なもので)水の貯まる底がだいぶきれいになつてゐる。そこで大きめのタオルで底の水を一端拭き取りビデオで撮影して見ると飛鳥時代の遺物パイプではなく誰も注意してゐなかつた左奥の鉄管の底部からじわ/\と水が沸いてゐるのが明らか。

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一先ず、こゝまで確定出来たので今日の作業はこゝまで。それにしても「プロ」の方々が何故こゝまで出来ずトーシローのアタシが、こんなことしてゐるのか……好きなのだが。それに比べAmexの対応は大したもので夕方「今朝の親方の工事は如何でしたか?」とサポートの電話あり。「今ね、管理事務所の連中が来てあーでもない、こーでもないと作業してる、マンション側の配管の水漏れの可能性あり」と説明すると「その場合、この工事負担も管理事務所負担になりますね」とAmex君が言ふので「まだ確定ではないが、その場合は御社のHK$1,000カバーはなしでいいわ」とアタシが言ふと「わかりました、いずれにせよ正規料金で領収書を発行します、もしカードメンバー負担となる場合はHK$1,000お引きするといふことで」と実に要領良し。夕食は焼き餃子。後述の餃子皇后を偲んで、ではなく偶然で家人の自家製餃子。それにしても今日は湾仔碼頭餃子は餃子皇后追悼でかなり売れてゐるのではないかしら。

湾仔碼頭餃子創業の女将さん逝去。享年七十三。この記事によれば湾仔碼頭前で立ち売りから始め転機となつたのは1983年に日系デパート(大丸?)の老闆(支店長?)の12歳になる娘が「この餃子をペロリと10数個食べるほど」で、この餃子がそのデパートの食品売り場に並んだことだといふ。1985年に湾仔交加街に店を構へ90年代には冷凍のが、どこのスーパーでも手軽に買へたが湾仔の直売店に行くと女将がまだ手作りで出来立ての餃子が買へ、これは本当に美味しかつた。女将を「水餃皇后」と讚へるのが香港らしい。水餃子を食す文化のなかつた「雲呑」の香港で山東からの移民が「水餃子」で起業し成功……まさに香港ドリームを体現した人生。哀悼。