富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

竹内好『近代の超克』

正月初五。曇。ぼんやりとした濃霧、高い湿度……春節で(とうとう冬の寒さもないまゝ)香港の陰鬱な春を迎へてゐる。洗面所の漏水工事は週明けを待たねばならぬがスラブ(と呼ぶのだと今日、内装O氏から知つた)に溜まる水は出元は壁際からのほんの少しの水の浸み出しながら三、四時間もすると満水となりスポンジやタオルで吸い出しせぬと氾濫。夜中も目が覚めると、この作業。今日は土曜日で朝から、この緊急対応。スラブには取り外したシャワーの台座跡に排水溝が無意味に残つてゐるが、この排水管もかなり老朽化してゐるので思ひきつて、これを打ち砕きスラブに溜まつた水が排水溝にそのまゝ流れ出すやうにする。我ながらグッドアイデア


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スラブの傾斜が小さく漏水はフロアより少し高い位置にある排水溝に至るのに1cmほど溜まぬといけないが、それでも流れてはくれるので、これで吸ひ出しといふ作業からは逃げられるだけでも御の字。スラブ側の水位が上がることでオーバーフローした水が廊下やアタシの書室に滲み出てゐたので、それも改善された。最悪の状況の中で如何に最善を尽くすか、である。午後は夕方、近くのジムにサウナ浴に行つたくらゐで読書。早晩にブラタモリ武蔵小金井)見る。家人が子どもの頃に小杉陣屋町界隈に住んでゐて、この場所にかなり明るいことに驚く。なるほど多摩川が整備される前、まだこの川が大きく蛇行してゐたころの地形で見れば河の両岸に同じ地名あるのも納得。夕餉はお好み焼き。東テレで春節に肖り横浜中華街の特集。アタシは小学生のときに妹と一緒に母に連れられ行つたのが始めてだつたが華正樓といふ大きな料理屋で予約もしてゐなかつたのだらうが慇懃に楼上の、調度は支那趣味の広い畳敷きの座敷に通され、それまで中華料理といへば水戸の、当時の水戸の街場の小汚い中華料理はかなり美味かつた印象あるが、それとはまるで違ふ大皿の何だか贅澤さうな料理に驚いたもの。香港に移住する前、東京に住んでゐた時分は家人と周末に東横線で横浜中華街に赴きカネもあまりないので路地にある楼蘭といふ小さな食肆に何度か食べてゐた。香港から帰国の折、一度だけ、この楼蘭に行つたことがあつたが閉業した由。

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この番組で中国の四大料理といふ地図を見せて、その中で台湾までが広東料理に色分けされてゐる!のには言葉もなし。これもテレビ局の中共への忖度なのか。ちなみに福建、潮州も「広東料理」になつてゐる。

近代の超克 (筑摩叢書)

近代の超克 (筑摩叢書)

 

昨日は孫歌の竹内好論を読んだが竹内論を読むなら、やはり竹内好の著作を読むべきと竹内の『近代の超克』何十年ぶりかで再読。〈近代の超克〉ぢたいは

マルクス主義敗退後の中間的知識人のいちばん活発な活動舞台であった雑誌『文學界』が(戦時中の皇国化の中で)一つは延命策として「日本浪漫派」の國體思想から自己を防衛する目的と、一つは逆に國體思想を利用する目的で、窮余の策として知性のさいごの足掻きを見せた

といふ竹内好の理解がアタシにはしっくりとくる。いずれにせよ「それだけ」で、その思想活動は失敗し「戯画」と竹内に言はしめるものだが、斯様な思想活動に至ることの「革命のない」日本の近代化の怖さは今日のヘイトスピーチに至るまで日本にあるのが怖い。かといつて竹内好の構想した〈アジア〉は(あとがきで松本健一が指摘してゐるが)これは実体ではなく西欧、言ひ換へると〈近代〉を超えてゆくための〈方法〉であり、だがそれが今もつて漠然としてゐることは言ふ迄もない。健全なナショナリズムで近代国家を超越する原理として〈アジア〉を置くことが、どれだけ難しいか。そこでやはり指標となるのは魯迅しかない。