富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

洗面所の応急修理

正月初二。晴。今日は気温が摂氏27度まで上がるといふ。気象観測史上最も暑い正月だとか。今朝から陋宅マンションのテニスコートも開炉で賑やか。家に籠つてゐても何なので家人と軽く平坦なコースで山歩きでもしようかといふことになり香港島で未だ歩いてゐないトレイルコースはあるかしら?と目星つけ北角から41 Aのバスで「五叉路」まで行きBlack’s Linkの坂を上りLady Clementi’s Rideに分け入り林の中の石段を下り壽臣山の高級住宅地から海洋公園、黄竹坑のビル群を見渡す標高100mほどの引水路に沿つた平坦な山道を歩く。


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Clementiといふ聞きなれぬ姓は香港の植民地官僚で1925年から5年間、総督も務めたSir Cecil Clementiで1904年には”Cantonese Love Songs”といふ洒落た本まで上梓。その夫人の乗馬路が、このコースでピークのミドルギャップから島南をAberdeenの方に下り平坦な小径を東に向かふ、そこが後に引水路になつたと思はれる。因みに歩き出したBlack’s Linkも戦後のブラック総督の名を冠してゐる。アバディーンの水塘は上と下に二つあり、以前トレイルランニングなどよくしてゐた頃はよく通るところだつたがLower Aberdeen Reservoir(下ダム)を渡るのは初めて。急な坂に位置する、香港の公共団地でも早期の建築である漁光邨団地を抜け香港仔(アバディーン)の市街に下りる。年始で親戚回りの市民多し。


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41Aのバスで帰宅。往復のバスで三島由紀夫『小説家の休暇』再読。陋宅は春節前から客用の洗面所で原因不明の水漏れで、それが日増しにひどくなり、この洗面所に接すアタシの書室まで巾木の下の隙間から水が出る始末。家人が洗面所にある1平米にも満たぬ狭いシャワー、これはスニーカーや背嚢をじゃぶじゃぶと洗ふくらゐにしか使つてゐないのだが築30余年の老朽化したマンションで、この水回りは新築の時から改修もしてをらぬ、足場のプラスチック床もだいぶ朽ちたもので、その側面の反れた板材から懐中電灯で覗くと台座の下にかなりの積水あり。これが溢れて水漏れ。このまゝにしてをれぬがマンションの管理事務所は春節で休み、修理工も来るはずない。仕方ないのでシャワーの足場の排水溝のところの固く嵌つたパッチンを外すのに苦労したが老朽化した台座除去してみると清水で良かつたが水がずいぶんと溜まつてゐる。雑巾に水を湿らせ溜まつた水を吸ひ出し、ひとまず洗面所内や書室への水漏れは回避。


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さて、この水がどこから?と確かめると壁のタイルの下からじみじみと浸み出してをり、壁の中の水道管の老朽化か。この先はアタシでは手におへない。読書。晩に、先日、散髪の折に理容師I氏が推してゐた「そごう」の食品売り場で求めた豪州産の牛舌を塩焼きで食べる。美味。Opus Oneのハーフボトルだが一年くらゐ前にいたゞいた、自分ではとても買へぬ上等な葡萄酒があつたので春節だし、これを飲む。

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この葡萄酒に陋宅での牛タン塩焼きをアテにするのは些か失礼か。「三田文學」冬号で水原紫苑さんの短編小説『家の彼方に』読む。著者が長年住んだ家の改築に踏みだせずにゐたところ親友の平安文学の研究者で演劇評論もし茶人でもある方が家を数寄屋風に新築し、その新築披露に招かれた紫苑さんは、そこでその親友の所属する大学で同僚の建築家「イタリアの先生」紹介され、そこから紫苑さんの家の新築が始まる話。ほゞ実話であらう。この「親友」がアタシの畏友T君で、紫苑の描く親友の言葉、言葉遣ひは実によく描写されてゐる。水原紫の師は春日井健で、詩歌苦手なアタシも春日井健の詩集は一冊あつた筈と書架を探すが見当たらず。また、この短編の最後に谷崎の『陰翳礼讃』のことが出てくるのだが、これも書架で見つからない。たゞこちらはKindleで読めるので(この紫苑の短編でも青空文庫でも読める、とあり)夜遅く『陰翳』再読。

茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。

先日、T君の茶室で炉に炭を焚き冷水から湯を沸かし、けして沸騰しない湯の、その音を楽しんで、といはれ、こんなきれいな音があつたのか、と魅了された晩のことを思ひ出した。「尾上の松風」まで連想しないが……谷崎ぢゃないので。
▼突然、三島由紀夫『小説家の休暇』再読したのは出掛けに書架から目に入った文庫本(三島由紀夫文学論集–講談社文芸文庫)をさっと手にしたからで、それに、この「日記」があるからだが日記形式の饒舌な文学論で、それは一二度読んで食傷気味。今回はこゝ数日の吉田健一熟読で、当然この三島の日記にも何回か日々の日記冒頭のほんの数行だが吉田健一も登場するから。三島の観念的な文学論にアタシはついていけないが殊にこの著作で嫌ひなのは太宰治批判で太宰の「性格的欠陥」は「少なくてもその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される」とした下り。三島も半ば巫山戯て書いてゐるのかも知れないが「アンタにだけは言はれたくない」と太宰ぢゃなくても言ひたくなる。逆に好きな文章は三島が父方の祖母の「言葉」についての回想(八月一日)。祖母は言葉に厳しく「大変」といふ言葉も今では卓袱台で茶碗をひっくり返しただけで「大変、大変」と騒ぐが「大変」は「お家の大事」のときにくらゐしか遣はない言葉だといふ。「とてもきれい」「とても嬉しい」も「とても」は「とてもできさうにない」とか必ず打ち消しを伴ふべき。「楽しいです」なんて日常語も、あれは大辻司郎の漫談語で(笑)きちんと「たのしゅうございます」。「全然」といふ言葉も無性に嫌つたといふ。よくわかる。ふと、アタシは幼い頃、母に「だいたい」といふ用法を注意されたことを思ひ出した。それがどんな理由なのかは今もわからない。たゞ「凡そ」とか遣ふべきで「だいたい」といふ語は「だいたいにして晋三がまずケシカラン」なんて汚い用法が合ふのか、と思つてゐる。ところで、この文庫版の論集の「解説」を書いてゐるのは高橋睦郎。睦郎といふと随分と若い時分に三島に可愛がられた印象があるが、この解説の回顧によれば二十代後半で一回り上の三島と銀座日航ホテル裏の小さなバーでジム帰りらしき由紀夫さんに初めて遭遇してゐる。睦郎は、このバーは好事家なのだらう「パーサー上がりのマスター」と懇意で、そのマスターが睦郎を由紀夫さんに紹介したのか会釈くらゐはしたのか。その後、睦郎が詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』を三島に贈り、すると睦郎に「三島です」と電話があり、三島は六年後の死まで睦郎に「優しく」してくれたといふ。

三島由紀夫文学論集 I (講談社文芸文庫)

三島由紀夫文学論集 I (講談社文芸文庫)

 

……以上こゝまでiPadのスクリーン上のキーで打ったら遉がに一時間もかかつた。