富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

新宿タウンマップ

農暦己亥(つちのとい)年正月初一。曇。毎年の如く何もすることなき春節正月。蘿蔔糕(大根餅)の朝餉。

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最近は具の多い蘿蔔糕も多いが、これは本当に蘿蔔だけで素朴。陋宅のマンションの窓から市街見下ろせば人の気配もなく自動車も走らず閑かななもの。休日はいつもマンション付属のテニスコートで朝から晩まで奇声叫びながら(しかも日本語なのだ)テニスに興じるグループが騒々しいが遉がに今日は施設も休みで猶のこと静寂。長谷川郁夫『吉田健一』読了。昼頃になると朝から家族で正月迎へた人々が親戚にお年賀のやうで路上のあちこちに自動車が並んでゐる。三が日は警察の路上駐車取締りも余程の二重駐車で通行が遮られることでもないかぎりお赦しのやう。アタシは節句感がなく正月の晴々しいのは殊に苦手で元旦はいつも陋宅に籠つてゐる。厭世感も少しあり。吉田健一『三文文士』再読。

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著者三冊目の随筆集で昭和31年に宝文館からの出版。初版本で「吉田」の検印あり(健坊は戦前に最初の出版で父・茂から検印用に「樂」と刻字された印を授かつたが空襲で家を焼かれ紛失してをり、その後また「樂」も作り直したといふ)。序は河上徹太郎。題簽は拙筆だが三島由紀夫吉田健一にとつて最も年上(河上)と年下(三島)の友人。吉田健一の個性が見事に表れた随筆が並び何度読んでも楽しい。貧乏物語と題された前半は「我が青春記」から始まり、敗戦の混乱期を経て、後半は「最後のレジスタンス」で水爆後の世界の未来を憂ふ「恐ろしい時代」で終はる。その憂ひの時代のなかにまだ私たちは生きてゐる。ちびちびと酒を飲みながら読書続ける。

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本間健彦『60年代新宿アナザーストーリー』社会評論社を読む。

戦後、東京一の繁華街になりつゝある新宿で百貨店、商店街が中心となり紀伊国屋書店社主・田辺茂一を代表とする「新都心新宿PR委員会」が銀座の『銀座百点』のやうな街のPR誌の発行を企図し『話の特集』の矢崎泰久に企画が持ち込まれ多忙の矢崎が編集スタッフだつた本間健彦に「 新宿プレイマップ」を託す。当時の新宿は淀橋浄水場跡に副都心計画で既に京王プラザホテル建設が始まり西口地下は坂倉準三設計の近代的な地下広場がフォークゲリラに占領され広場が「通路」にされた後。ただ、まだ二丁目には赤線の後に風俗業があり南口から旭町は戦後そのまゝの風景。その混沌とした新宿で「新宿プレイマップ」は1969年に月刊で創刊される。それが『銀座百点』のやうな「良質」なタウン誌になるはずもない。和田誠白石かずこ植草甚一寺山修司唐十郎野坂昭如田中小実昌永六輔殿山泰司篠山紀信アラーキー横尾忠則……と始末におへない当時、アヴァンギャルドなクリエーターたちが、このタウン誌に登場する。創刊号から新宿PR委員会は内容のカウンターカルチャーぶり、低俗を叱り本間も焦るが創刊号は若者にウケて、この路線が続く。半世紀経つた今それを読むと「あゝいふ時代だつた」と思ふだけ。今より勝手が通つてゐたのは羨ましくもある。このタウン誌は2年半続き読者が細々ながら全国に拡がりスポンサー付きの雑誌出版としては、それなりに成功してゐたが新宿PR委員会にしてみれば本来の宣伝効果とは違ふ方向で廃刊決定。普通、雑誌は実際は廃刊でも「休刊」とするところ「廃刊」。それでも田辺茂一らの了見か「新宿タウンマップ」は本間ら編集者や文化人、コアな読者の存在、そして何よりこのタウン誌にある新宿らしさは無碍にできず当時、新しいスタイルの広告代理店として台頭してゐたマドラ出版の天野祐吉に、このタウン誌の存続を託す選択肢も用意し本間らも、これに同意で再出発。しかし2ヶ月でマドラがギブアップ。呆気ない廃刊。本間によれば天野祐吉のマドラは実は関西の某氏が影のオーナーで、そこからカウンターカルチャーで反体制やドラッグ文化許容の、この雑誌の継続にダメ出しあつたといふ。そこで代案として提示されたのは「情報ページだけのタウン誌」。そんなもの作れるか、で本間らは離散。2年後の1974年に『ぴあ』が創刊される……。吉田健一もさうだつたが「新宿タウンマップ」もアタシは知らない。新宿はアタシの幼い時、西口は改札を出るとすでに板倉の「未来のやうな」地下広場にぽっかりと開いた空間から自動車が上がり下りして、その空間の向かうにスバルビルがあり、母方のお寺は小田急ハルクを抜けて青梅通りの大きな歩道橋を渡つたところ。フォークゲリラの時代だが幼いアタシには、その争議も、それどころかお寺の裏の柏木のバラックのやうな密集地も知らない。お寺参りが終はると祖母は決まつて西口のメトロ食堂街にある「つな八」で天ぷらをご馳走してくれた。おもちゃは京王と小田急か、いずれかのデパートでいゝのに母は伊勢丹まで行つてPeanuts©の専門店で米国製のスヌーピーのぬひぐるみを買つてくれたのが、この「新宿タウンマップ」が創刊された頃の新宿だつた。

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今の新宿はずいぶんと再開発されてしまつたが、まだ雑然としたいかゞわしさがしぶとく残つてゐてアタシのやうな不良には未だ心落ち着く場所があつて今でも東京にゐると、ついゐてしまふのがジュクなのだ。