富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

内田樹「追悼・橋本治」

農暦十二月廿六日。薄曇。咳がときどき止まらず辛い。晩遅く帰宅して夕餉はおでん。日本酒コップ一杯が胃に染む。
▼三度、橋本治について。内田樹先生が「追悼・橋本治」を書かれてゐる。橋本治の書評をよく依頼された内田樹が編集者に「どうして、僕なんかに書評頼むんですか?そちらにいくらも書く人がいるでしょう」と尋ねると意外なことに、その編集者は「いないんです」と答へたといふ。頼んでも断られてしまふ。日本の文壇論壇の方々は「橋本治が苦手」と感じた内田先生。橋本治本人からも『窯変源氏物語』上梓のあと某全国紙の学芸記者が橋本さんにインタビューをしようと思ひ自社データベース調べ「橋本治」で検索をかけると過去、その新聞の学芸欄には橋本治に言及した記事一つもなかつたといふ。なぜ日本の批評家たちは(学芸部の記者までも)橋本治を解説することをかほど忌避するのか。内田先生は批評の一般論を述べる。

批評家たちは、「書かれた作品」に先立って、作家には何か「言いたいこと」があると考えている。作家には、政治的主張であれ、審美的意見であれ、人間いかに生きるべきかについての教訓であれ、とにかくまず何か「言いたいこと」があり、それを小説や評論や詩歌を通じて迂回的に(場合によっては無意識的に)「表現」している。批評家はそういうふうに考えている。
それゆえ、批評家たちの仕事は、作品の表層を突き破ってその源泉に遡行し、純粋状態の「言いたいこと」にたどり着くこととなる。批評家が「書き手はこれを書くことによって何を言いたかったのか」を明らかにすれば批評家の「勝ち」、何を言いたいのか言い当てられなければ批評家の「負け」。そういうルールで批評というゲームは行われている。
でも、ただ作品をじっと見つめているだけでは作家が「言いたいこと」はわからない。「言いたいこと」を言い当てるためにはさまざまな「作品外的」データとの突き合わせが必要である。性別、年齢、国籍、家族構成、信仰、階級、イデオロギー、性的嗜癖、疾病歴、交友関係などなど。そして、これらの「作品外的データ」と作品がうまい具合に結びつけられると(例えば、「書き手の無意識な性差別意識が人物造形にはしなくも露呈している」とか、「書き手の階級的偏見がこのようなプロットを要請した」とか)、批評家は満足げな顔をする。

その批評にとつての橋本治とは何か。

そういう批評家には橋本治のような書き手は論じられないだろうと思う。そして、残念ながら「そういう批評家たち」が私たちの国の文壇のマジョリティを構成しているのである。彼らが橋本治を論じないのは「橋本治は何が言いたいのか」を言い当てることができないからである。彼らの採用しているルールからすれば、それは彼らの「負け」になる。

御意。橋本治が何が言ひたいのか、はわかならい。これについては昨日までにこの日剩に載せたやうに本人の弁の通り。