富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大江戸歌舞伎はこんなもの

農暦十二月廿五日。薄曇。数日前から咳が出てゐたが夜中からかなり体調悪しく通院。流行のインフルエンザではなく気管支炎だらう、と医者。急ぎの仕事済ませ午後、休養。水曜晩でハッピーバレー競馬場から中継見る。ダグラス=ホワイト騎手が来月、現役引退で今晩がハッピーバレーは最後の由。引退後は調教師になり次季から香港で厩舎開くさう。今晩は2レース騎乗で第6レースは応援の複勝に投票したが惜しくも4着。アタシ自身は第5レースまで1点買ひで単勝1、複勝4的中で後半2レース外したが最終第8レースは単勝当てゝまずまずの勝ち。

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昨日逝去された橋本治。殯儀で喪主はご母堂の由、もう卒寿過ぎでと思ふと嘆かわしい嘆かはしい。橋本治の著作で書架に「なにか未読あれば」と思つたら『大江戸歌舞伎はこんなもの』(ちくま文庫、絶版)を見つけ昨日から読む。江戸歌舞伎の演目のパターンから、なぜ曽我物なのか、そして歌舞伎特有の時代錯誤感=なぜ江戸の話が鎌倉に置き換へられるのか……等、橋本治ワールドで彼特有のあの語り口で説かれるが、いつものことで「ややこしいことをやさしく」分析して見せるが、それぢゃこれを読めば江戸歌舞伎がわかるか、といふと一つもよくわからない。むしろ「わかりにくい変な世界」といふことが余計に痛感させられる。歌舞伎の物語の不思議なところを「予定調和」とする。

予定調和というのは多分、元に戻った分だけ、何かの変化(成熟というような)を持つものだという、そういうことなんでそうね。
「変わっちゃいけない」と言うのなら変わらない。その代わり、どうなって知らないよ……そんあ啖呵もありました。それが、まだ江戸という時代が生きていた頃の「予定調和」です。予定調和というものは、もしかしたら「剣呑なもの」かもしれない……江戸のドラマはそんなことも教えて、だから我々は「なんにも変わらない予定調和のドラマ」を、今も変わらず見続けているのかもしれません。

これで、この「大江戸歌舞伎はこんなもの」が終はつてしまふ。あとがきでも

私が好きな江戸の歌舞伎は「なんだかよく分からないもの」です。なんだかよく分からないくせに、すごく魅力がある。その魅力の根源は「平気でなんだかよく分からないままにあること」です。……私はそう思って、そこのところが一番好きです。だから、そんなものは人に説明出来ません。実際に劇場で上演されているものは、その「なんだかよく分からないもの」の一端でしかないもので「見りゃ分かる」とも言えません。「人に説明出来ないものは説明したってしょうがない」という、私の体質は、すでに1970年代の初めに確固として、私には「なんだかよく分からないもの」の中に一人で勝手に没頭して行きます。

結局のところ本当に「なんだかよくわからない」「でも面白い」しかないのは橋本治ワンダーランドの骨頂。まるでキツネにつまゝれたやうな話だが橋本治の世界はいつもこれなのだ。敢へていへば、この芸風が好きで橋本治の評論を読んでゐるやうなところがある。あとがきの中で橋本治は自分が「人生とはなにか」といふような問ひを一蹴してしまふところがある、と述べてゐる。

めんどくさい悩み方が嫌いな私は「なんだ、別に今風の悩み方をしなくてもいいのか」と思って、そっちへ走ってしまいました。

ご本人が亡くなつてこれを読むと、この江戸歌舞伎も橋本源氏も「桃尻娘」も、これに尽きるのか、と思ふのでした。

マンガ建築考 ?もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら― (ThinkMap)

マンガ建築考 ?もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら― (ThinkMap)

 

風邪で寝てゐたので肩の凝らないものを、と選んで読んだのが、この本。さまざまな漫画に登場する構築物を建築家の専門的な知識を面白く活かして、それを分析して見せる。とくに巨大建造物や地下のスタジアムなどは、これを出来るのは鹿島建設とか、この技術を持つ重機は○○重機といつたオチも可笑しい。興味ある方には原本を読んでいたゞくとして、この本の「あとがき」は驚いた。通常は本編についての「あとがき」なのだが著者は大好きなマンガ、アニメにとつて「東京都青少年健全育成条例」改定のやうなマンガの内容や表現の規制について憂慮を語る(この本の発行は2011年で、まさに慎太郎の都政)。これに対して「表現の自由を守れ!」で対抗できるのか、と。著者はマンガなどに表現される欲望やエロスを重力で分析してみせる。通常の高いところから低いところに落ちるのを堕落感とする、通常の、である。それに対して地面から穴の深みに落ちるものは背徳や変態性。この地上から地面、地下への高低差が社会のルールやモラル。これに対して横の動きはないのか? 著者は自然の力として(風力は別だらうが)斜面をあげる。斜面は重力と加速度が働くなかでスピードが生じる。このスピードをどう調整するか、でスピードが上がれば過激で、社会の状況を見ながらスピードを抑制すればソフトになり、場合によつては自主規制で止めることもできる。東京都の青少年健全育成条例は、これでいへばスピード違反ばかりか、かなり低速のものまで取り締まつてしまふ危険性があるもの。

エロ速度ごとに、接触経路や走行エリアを区切るといった細かい対応を、表現物の製作者や供給者が考える必要があるでしょう。すると問題なのは、むしろ一般メディアにおけるニュースや評論、お笑い番組などのエロ速度や残虐誇張報道のスピード規制、信号や歩道橋などで子どもたちが出合い頭の事故や暴走車両の犠牲にならないように制御することの方が重要なのではないでしょうか。

下手をすると必要以降の自主規制になりかねないが、まさかこの『マンガ建築考』で、このやうな問題と、その対処を提示されるとは思つてもみなかつた。