富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

グルメぎらい

農暦十二月十九日。晴。帰宅ラッシュ始まつた早晩に天后のMTR站で地下の改札コンコースに下るエスカレーター不通。皆それを階段にしてのろのろと下りてゆく。降り口で発狂したやうに普通话で息子を詰る母。駆けつけた一人の職員まで母と一緒になり息子を叱る。もう一人の年配の職員が「まぁまぁ」と母を諌め乗客がつぎつぎ下りてくるから、そこを空けるやう促す。

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何事かと思へば二人の息子のうち長男が降り口で次男を押したかで次男の履いてゐた樹脂製サンダルがステップに挟まつてしまひ(画像は参照のための拾ひもの)子どもは怪我はしてゐないやうだが一歩間違へばとんだ惨事。樹脂製サンダルのエスカレーター事故の危険性は聞いてはゐたが実際に遭遇するとぞっとする。それにしても母が責任を長男に被せるのは見てゐて悲しいこと。

グルメぎらい (光文社新書)

グルメぎらい (光文社新書)

 

 柏木壽『グルメぎらい』光文社新書読む。昨今のグルメブームはまさに食傷気味でタイトルに惹かれた。テレビではうんざりするほどラーメンから高級割烹までのネタばかりインスタ映えにブログから食べログ等のサイトまで素人が食評に熱中。アタシもそりゃ食べることは好きだが素材から調理法までの知識もなく食べ物を言葉で表すだけの筆力もなく美味と思へば美味としか書かない。よっぽど酷い味、サービスの場合はあくまでアタシの一つの事例なので客観性もないことなので店名は伏せる。そのグルメブームが馬鹿馬鹿しいと思ふ隠れた食通の本なのだと思つたが読み始めると、この著者自身が京都の歯科医でかなりの通人。京都の食に精通で、しかもこれまで雑誌やテレビにも登場し著作、Facebook等でも京都の味覚につき言及のグルメ通の先駆のやうな方で、その本人が今どきのグルメブームが、そしてグルメサイト上であれこれ語る素人らの発想や表現がいかに貧困か、食肆もそのブームに乗じていかにおかしな料理人が増えてゐるか、の苦言。確かに「前歯を使って串からレバーを外した瞬間、脳天を突き破る官能を覚えた」なんて表現は拙すぎ。だが、すきやばし二郎の寿司を褒めるが今日のやうに二郎ブームになる前を懐かしむ……でもこの著者とてブームの火付け役の一人。著者は本来は(カウンター割烹なら)料理人が客の好みに合はせるべきで、それ以上の会話すら不要なのに今では客が調理人に合はせ食材、調理、盛り付けを絶賛し写真を撮り料理人もしゃべくり上手。入店の時間まで指定はおかしいだらう、と。料理人のモンスター化もまた然り。寿司屋でも天麩羅屋でも、これは塩で、これはタレで醤油で、とうるさい。アタシは天麩羅はほとんどタレも塩も付けず、寿司やでもほんの少しの香りつけの醤油でいゝので「にきり」をべっとり塗られるだけでうんざり。先日は寿司屋でにきりを「ほんの天使の涙くらゐで」と言つたら隣席の寿司通にへんに感心された(笑)。また新機軸で法蘭西料理と日本酒とか、イタリアンな和食も無理あり(アタシも先日、天ぷらやでシャンパンを飲む「天シャン」だか勧められ即座に断つたが)。ガソリンの十円の値上げがニュースになるがお茶のペットボトルが160円から180円になつても話題にならぬこと(ガソリンは500mlに換算したら80円)、和食で日本茶は無料なのにウーロン茶は500円。著者のさまざまな指摘に同感。「おまかせ」やコースの最後で土鍋で炊くご飯……この一元化が「おまかせ」どころか「おしきせ」と。確かに。かうした指摘にアタシも溜飲下がるが、とにかく素人グルメ家たちへの苦言が多すぎ。素人ブロガーたちが「食べる」と書かず「食す」を使ふことまで不遜、と。アタシなんて荷風散人倣ひ「飰す」だから更に始末に負へないか。京都の開化堂の茶筒の精巧は馳名だが「京都の家々は大抵、開化堂の茶筒を使つてゐる」とか、抹茶ブームでもお菓子やアイスクリームばかりで実際に抹茶を一服してゐるかとか……気持ちはわかるが読んでゐてこちらが嗤はれてゐるやうな、馬鹿にされてゐるやうな気分になつてしまふ。また著者はミシュランの東京からの日本版発行がこの変なグルメブームの発端、と指摘。それは納得。だがミシュランの星の数での評価に対して、この著者に限らないことだが「日本文化は西洋の合理主義とは発想を異にするもの」で「1+1=2にならなければおかしいとする西洋に対して日本文化はその答えをときに3とし或いは0としてきた」「尺度がまったく違う」と、かういふステレオタイプな日本の特異性とすることにはアタシは違和感あり。……本来の通人といふのは久ケ原のT君などまさにさうだが、こちらから余ほど尋ねもしない限り食通ぶりなどべらべら喋らないし、ひけらかしもしない。せいぜい、この季節こゝでこれを食べました、なのである。