富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

四谷

農暦十二月十七日。午前中所用済ませて昼に母と四谷。四谷三丁目交差点に近い静かな住宅地にある新宿歴史博物館は旧四谷三小。母の姉が戦争中こゝに通学。歴博の常設は小さいが(特別展は御苑だつたが時間なく、こちらは見ず)土器時代、江戸時代と明治以降、戦前から戦中の展示。江戸時代の内藤新宿ジオラマ模型あり大昌寺、追分から青梅、甲州の両街道への分岐までアタシには既知のことで戦前からの展示だけ少しじつくり見学。戦時中の空襲での学童疎開で、母から姉は山梨に疎開と聞いてゐたが展示資料で四谷三小の疎開先は確かに山梨。資料室で昭和16年と22年の四谷区の詳細地図を閲覧。母は空襲で焼け出され水戸に疎開した時まだ未就学。空襲で御苑にあつた防空壕に避難し警報解除で出てくると、かなりの焼死体があつた鮮烈な記憶あり。母の戸籍は四谷の三栄町4-6とあるが、これは旧町名残してゐる新宿区では寧ろ稀だが三栄町は戦後の区画整理後の町名で母が住んでゐた頃は四谷箪笥町昭和16年の地図で路地まで確認。

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歴博から歩いても50mほどだが三栄町4-6の、母が住んでゐた場所を確認。母が元気で出歩ける内に、この四谷実踏だけは一緒にしておきたかつたこと。三丁目の交差点まで戻り八竹寿司でお昼。

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東京では馳名の大阪寿司。美味。母と別れ羽田へ。CXの香港便はさすがお高い羽田便だとツアー客もおらずCクラスとて多分アップグレード客も受け付けず満席。4時間フライト便で今でもFクラスありなのだから。香港に晩8時すぎ到着。香港エクスプレスで香港站に着きタクシーは20日に開通した中環〜北角の海底バイパス通るの?と思つたが既存ルート。


田村圭介『なぜ迷う?複雑怪奇な東京迷宮駅の秘密』実業之日本社新書を読む。この著者の『迷い迷って渋谷駅』光文社は既読。アタシもかなりの鉄ちゃんで巨大駅の構造は興味あるが渋谷は元々が複雑な上に近年の大規模再開発には実際に渋谷は行く機会少ないこともあり全く見当もつかず『渋谷駅』本はかなり勉強になつたが、今回のこの本は東京、新宿、上野や秋葉原などは書かれてゐる内容はかなり既知のこととはいへ北千住、中野や蒲田など余り気にしたこともなかつたが路線と行き先がかうも複雑とは認識してをらず飯田橋は乗り換へることも少なく豊洲など未踏のターミナルで知らないことばかり。