富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦十二月十五日

農暦十二月十五日。快晴。朝ごはんかはりにとらやの焼き菓子。

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実家に通販で購入の品々届いてゐたなかにKindleあり。

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今まで使つてゐたのはKindle発売初期のものでモニタ乱れてしまひ何年も使へず。今回のものは防水なので風呂場でKindle読書も可。で電源入れるとすでに私の名前で登録済んでをりログインそのまゝできてぞっとするほど驚く。Amazonの自分の口座から自分用と指定して購入したからか、すでにさうなつてゐた様子。すでに入手済みの書籍から新訳聖書(文語版)読み始める。所用すまして早晩にT君宅へお邪魔する。古い家屋取り壊し茶人としての粋に徹した数寄屋造。T君に拠れば「一畳台目中板反故張りの小間」と茶道のお稽古用の広間の茶室あり楼上がT君の私室だが、ここも贅を尽くした書斎など実にお見事。そこで汁物と鰤の酒煮で酒を飲み交はしを祇園いづうの小鯛の雀鮨頬張る。

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楼下の茶室で炭で釜に冷水から沸かしたのもいゝ感じで沸いたといふのでお茶を二服。茶道は全くもつて心得のない私。

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お菓子は京二條・駿河屋の松薯蕷と聞く。それにしても茶の一服が空間、ご亭主の人柄と関係、釜でお湯の沸く音からお香が微かに薫る空気まですべてが一体でお茶がこゝまで美味しくなる、これに満足するものであることは実感。つまり何か一つ欠けてもダメなのだ。すてきな空間で素晴らしい友と好きな話題彷彿でわらひながらの酒ほど美味いものはない、まだ少し話したりない、飲みたりないくらゐが退けどき。冬の十五夜の見事な月を愛でる。
▼大正生まれ卒寿過ぎても現役の米川文子の三絃で七小町、山勢松韻(昭和7〜)の琴で東獅子を聴く。久ヶ原T君の的確な指摘の通りで音を出すといふことがいかに心と身体の複合の技量なのか、と改めて敬服。他と何が違ふか邦楽に疎いアタシも納得。かうした名人も高齢で果たして、これを誰か継げるのか。大成駒がゐて、その後あれほどの女形が不世出のやうに。
▼T君から譲られた『三田文学』2019年冬号で石原慎太郎対談(まだお元気だつたのか、でもこれが最終回の由、坂本忠雄相手)にあつた江藤淳の話。江藤先生奥様逝去で塞ぎ込まれていたところ慎太郎が良い家政婦紹介の由。江藤はその女性と自転車で一緒に買ひ物にいく程で江藤は余生この女性に預けられると思っただらう、と慎太郎。この女性も江藤の世話を了解して実家に身の回りの荷物取りに戻つたが東京に戻る日に厳しい寒冷前線で鉄道も混乱し、この女性は江藤宅に戻るのが遅れる。「遅れて申し訳ありません」と江藤宅に着くと江藤は風呂場で死んでゐたといふ。慎太郎はこれを江藤はその女性にも見捨てられたと思つたのか変な喪失感があつたのでは、と。