富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港大学で能狂言

農暦十二月初二。早晩にMTRで石塘咀。石塘咀といふ地名があるのにMTRが開通してから、こゝの站名が丘の上の「香港大學」になつたため石塘咀が「香港大学」と呼ばれる。日本人営む、つけ麺「彩aya」といふ食肆も場所が香港大学と聞いたので大学前の通りかと思つたら石塘咀であつた。MTR香港大学站下車して長い地下通路潜り石塘咀へ。家人と待合せ。Shangri-la系列のHotel Jenにある馬來一菜館で夕食。さすがマレーの砂糖王・郭鶴年傘下のホテル内だけのことはあるマレー料理のレベル。

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人口に膾炙せし海南鶏飯と叻沙を飰す。お値段もなか/\で2品で3,600円ほど。香港の飲食費は高すぎ。啤酒も飲みたかつたが小瓶で1,000円もするのでお預け。料理も小ぶりだつたので吉牛ほどの早食ひのあと石塘咀の路地にあるThe Junk Yard Dogといふ小さなパブへ。フィリピン人の女将が切り盛りで常連の欧州人客と静かに四方山話してゐる。フィリピン産サンミゲルの小瓶がHappy HourでHK$30(420円)。

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崖の目も眩むやうなエスカレーター乗り継ぎ香港大学へ上がる。構内の荘月明文化中心月明劇院。宝生流の宝生和英・廿代宗家の主宰で宝生流の能と山本家による狂言狂言山本東次郎人間国宝)の甥に当たる則重、則秀兄弟と東次郎甥孫の凛太郎による〈墨塗〉。

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有名な狂言だが抑も私が能狂言を見る機会少なく初見。続いて宝生流の能で〈土蜘〉。パンフレットにも中国語表記で〈土蜘蛛〉とあるが久ヶ原T君に聞けば日本でも〈土蜘蛛〉だが宝生流は〈土蜘〉で確かにパンフレットでも宗家のご挨拶(日本語)には〈土蜘〉とある。T君から、これは劇主題が誤読されてゐる、わかり易く言へば蜘蛛の糸の投げすぎ。江戸時代までの型だと糸投げは前場に2度、後場に1度だけ。といふことは今日の舞台は昔の型の通り。能に詳しいT君ですら「それは見たかつた」と。別のT氏からは舞ひも所作もやりすぎないのが宝生流と。知らないことばかり。中入りの後は能と京劇のコラボ。2年前に同じく宝生流で香港で上演し好評の〈石橋〉がベースで、これに京劇の〈清涼山〉を合はせ石橋の獅子(宝生和英)と孫悟空(石山雄太)の二人舞台。孫悟空を演る武丑が日本人なのは、この方、小学生の時にテレビで京劇の孫悟空を見て、それに憧れ中国留学で中国戯曲学院で修行、中国京劇院(現・国家京劇院)で研鑽を積んだ由。終はつて出演者と観衆のQ&Aあつたが、映画でも舞台でもかうしたもの苦手なので退場して帰宅。

蘋果日報に台湾の小説家で粤劇〈牡丹亭〉改編で大きな仕事残した白先勇先生の特集あり。新聞の特集でこゝまで総じて纏めるか、と驚くほど。

中國人說得很含蓄,卻做得大膽。記者問白先勇,小孩子接觸男歡女愛之描述好不好?文學大師說話權威:「哎呀你不要小看小孩子,老早就懂事了啦,我很小就懂了……早熟?就讓他早熟一點吧。」撫心自問,何時懂得男女之事,各人心中有數。最重要,古代文化人說情色,講昇華(sublimation),情慾背後有詩詞美,為情,可以去盡,愛中勇敢與責任,崑曲雅之源本,於此。

風知草:脆弱な未来=山田孝男 - 毎日新聞 https://t.co/8xQfX4M8mL

IT(情報技術)化が始まって以来、情報がすべてということになり、非常に脆弱な社会になった。自動運転も、金融システムも元の情報が間違っていたら全部壊れます。中性子爆弾とか、天体異変による電波障害でシステムダウンという可能性も荒唐無稽とは言えない。戦後、ある時期まで堅実な技術を培ってきたのに、今は情報に頼ってますます脆弱な社会をつくろうとしている。情報通信革命を押しとどめることはできないが、「巨大IT企業の独り勝ちと格差拡大」「サイバー犯罪と監視社会」「スマホ中毒」「フェイクニュース」……といった問題を制御していかなければならない。

▼平成という時代:変化「マスゴミ」批判に萎縮不要 ジャーナリスト・安田浩一さん - 毎日新聞 https://t.co/l2suH7tNbA

1995年にウィンドウズ95が発売された当時、週刊誌記者として秋葉原を取材していた僕は、インターネットの大衆化にある種の高揚感を覚えた。これで日本が変わると思った。発信手段を持った一般の人たちが、権力が隠蔽しているものを暴くことを期待した。だが現実は人々の醜悪な本音を引き出し、口にできなかったタブーを破る方向に向かった。沖縄をめぐるフェイクニュースの蔓延には、日本あるいは「日本人である自分」を強く意識しなければ物を語れない人が増えてきていることが大きく影響している。個人がまるで国家のようにふるまい、沖縄を批判する。大手新聞社やテレビ局はこうしたネットの言説を嘲笑の対象にはしても明確に批判してこなかった。「何を言ってもいい」風潮が生まれたのはメディアの姿勢も影響している。