富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

羽田→関空→香港

fookpaktsuen2018-08-16

農暦七月初六。朝五時半に鳥居坂をタクシーで発ち羽田空港。羽田の巨大なターミナルで国内線搭乗手続きの勝手がわからない。地上職員に「お荷物かなりありますね、国際便への乗り継ぎですか?」と声かけられ3番の大型荷物のカウンターへ、と誘なはれる。長蛇の列でカウンターに辿りつくと職員に「国際線乗り継ぎは4番カウンターで」と言はれるが「3番に、と言はれてしまつて」である。機転のきく職員で「私が国際線乗り口の発券資格ありますから、こゝで」と手続きの上、関西空港でのファーストレーンのカードとかは4番カウンターにしかないので、そこにご一緒します、と親切。07:15のNH093便で関西空港へ。香港に戻るのにいくら繁忙期だからとはいへ東京発のフライトがとれず関空経由なのは繁忙期でマイル利用の席数はかなり制限ありCクラスだと半年前で8月は(他の日も含め)関空発でこの日のNH873便しか2座席ご提供できません、が為。関空10:55では当日始発の新幹線は間に合はずマイルでも香港→羽田→関空→香港の三角切符が国内線料金含みで取れるので幸いに朝イチの羽田発関空行きとなつた次第。尋常ではない関西空港の混雑。国際線は手荷物検査も長蛇の列。幸ひファーストレーンで通り付けANAのラウンジ。カレーのにほひの充満。NH873便は10:30搭乗。機内食はきつと和食はもう食べ飽きてゐるかとオリエンタルベジタリアン注文してゐたが通路向かふの客が食べてゐる和食は美味しそう。酒に酔つたか貧血気味。10日ぶりの香港は小雨。陋宅に戻り夕方、旅荷を解き片付け。晩に半田麺啜る。いたゞきもので岡山のシャインマスカット、京都は亀屋陸奥の松風。


▼最近では政治まで評論する中森明夫だが数年前の呟板での書き込みだが映画『桐島、部活やめるってよ』についての評が素晴らしい。

桐島、部活やめるってよ』を観た。とてもいい映画だった。が、終了後、若い観客らが「何これ?」「さっぱりわけわかんねーし」とか言ってて…あ〜と思った。少々ヤボだけど、この映画について説明…いや、批評したくなった。ちなみに原作は読んでませんが。なぜ批評するのがヤボなのか? それはこの映画が批評だからだ。批評を批評するヤボさ、ためらいを感じる。何の批評か? つまり青春映画や学園ドラマに対する批評だ。青春映画を観に行ったのに、その批評を見せられたら、そりゃ「わけわかんねー」でしょう。この映画は今や学園ドラマが成立しないと言っている。なぜなら教室の生徒がバラバラだから。体育会系、リア充女子、文化部系…みんなバラバラ。関係が交わらず、統一的な主題が成り立たない。同じ場面の反復がバラバラなそれぞれの視点から描かれる。映画館で遭遇した涼也(神木隆之介)がかすみ(橋本愛)にタランティーノの名前を出す。同一場面の多視点の反復はタランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』…と観客にウィンクしてる。涼也が「今、僕らが出てるこの映画もタランティーノの反復でしょ?」とか言いそうw この映画をスクールカーストの語で評するのは間違っている。体育会系男子やリア充女子はイケていて映画部のオタ男子はサエない。が、上位下位のカーストの視点で統一的に把握することは不可能だ。同作品をスクールカーストもの、オタ男子を下位と笑う観客を、この映画は笑い返す。題名の桐島はバレー部のキャプテンでモテ男、青春映画の頂点のような男子。が、彼は姿を現さない。恋人の女子は桐島を待ち続ける。ゴドー待ち、ベケットの『ゴドーを待ちながら』だ。ゴドーとはゴッド=神のこと。人々が待ち続ける神=絶対者は現れない、それが現代演劇だ。桐島とは何者か? キリシマとはキリストではないか? キリストは人間の姿で現れた神で、一度は死に、復活して昇天する。『桐島、部活やめるってよ』とは聖書における『キリスト、人間やめるってよ』に等しく、この主題設定だけで原作者は相当のタマだとわかる。青春映画の神、桐島は姿を現さない。桐島が現れたらこの作品は青春映画として成立する。体育会系男子やリア充女子は桐島が現れるのを待望する。桐島が現れなくては自分たちは青春映画の登場人物たりえない。その存在を否定されるからだ。映画部のオタ男子らは桐島を待っていない。青春映画の脚本を拒否してゾンビ映画を撮っている。彼らはもはや青春映画は成立不可能であり、自分たちがゾンビであることを知っているのだ。体育会系男子やリア充女子らに「おまえらは無自覚なゾンビじゃないか!」と。モテ男・宏樹とオタ男・涼也、交わらない二人が8ミリカメラを向け合う。互いが別々の映画に出ている。「それでも俺たちは生きていかなければならない」涼也はゾンビ映画のセリフを言う。不覚にも私は涙を流した。そう、たしかにもう青春映画は死滅した。それでも俺たちは…。この映画がヒットしないこと、若い観客に理解されないことは青春映画にとっていいことだ。今後も相変わらずベタな青春映画が作り続けられるだろう。青春映画の死などなかったような顔をして。青春映画の主人公たちは笑う。もはや自分たちがゾンビであることも気づかないままに。オタ男子の涼也は映画『桐島』を観ないだろう。彼は『アナザー』を観る。彼のふられた橋本愛が学園ゾンビ映画に主演している。『桐島』はいるはずの男子が現れない話だが、『アナザー』は現れてる女子がいないことになってる物語だ。どちらの映画でも橋本愛は美しい!