富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

福島浜通り

fookpaktsuen2018-08-15

農暦七月初五。終戦記念日。東京から常磐線で仙台、仙台から東北新幹線での東京(都区内)発東京戻りの一周切符(同一線上での往復にあらず)が成立するかどうか。問題は?富岡〜浪江の不通区間(20.8km)と?岩沼〜仙台と本当に短い区間だが東京〜日暮里の重複である。?は不通区間でもJRが代行バス運行してをり問題なし。これはアタシでもわかる、が?は難題。それでも岩沼〜仙台は、常磐線は岩沼までだが「列車が勝手に東北本線で仙台に乗り入れている」ことになつてゐるので、ここはクリアできるはず。問題は日暮里〜東京で下手すると一周切符は日暮里までで日暮里→東京は160円で別料金か?である。先日この発券で目黒駅の駅員君は「うーん、どうにか作りたいですね、切符」と悩みつゝ職人の琴線に触れた様子。駅員君が入力を繰り返すとマルス端末の打ち出した答へは(このへんは2001年宇宙の旅のHALのやう)東京→水戸→仙台→大宮→新宿→東京といふ、簡単なやうで「大宮」と入るのがミソ。ルート理論上は大宮から埼京線で新宿経由で中央線で東京駅へ。確かにこれなら日暮里〜東京の重複はないが、それでも神田〜東京は重複するものゝ(何だかよくわからないが)東京都区内発常磐線経由仙台、東北本線大宮経由東京都区内往きの切符が発券される。「でも実際にこのルートで乗りませんよね」と私。駅員君は苦笑して「ですよね、でも車内検札も東京駅の出札も、そこまで見ないでしょう、きっと」と。といふわけで、その切符で水戸まで来てゐたが今朝は8時すぎのひたちの下り始発でいわきへ。北茨城の磯原あたりの海岸線の復旧工事はほとんど済んでゐる。いわきから特急に連絡する下りの鈍行はいわき〜富岡間の停電事故で15分の遅れ。いわきの駅で尋ねると富岡からの代行バスは、この列車の到着を待つといふ。竜田から富岡は美しい海岸線。海際まで断崖の岩場がいくつかありトンネルを抜けると海岸線が現れる、台湾東岸のやうな景観が続く。福島第二原発が林の向かふに煙突が見える。すつかり新しくなつた富岡の駅舎。こゝから先が常磐線は不通。何もない駅前のバスターミナルに代行バスが待つてゐる。海岸側の整備された空き地には汚染土を詰めた何百もの四角いビニール包が並べてある。24人の乗客を乗せた代行バスは10:25に富岡発。代行区間は富岡〜浪江だが、このバスだけは下りで日に1本だけの原ノ町往き。24人は男ばかりで皆、無口。トランクが車体の下に収納できる新しい大型バスで助かつたが荷物を引きずつてゐたので乗車が最後になり車内で両列とも窓際はすでに客がゐて最前列は空いてゐるが添乗員席。2列目の通路側に席をとつたら出発間際に添乗員が添乗員席に坐つていゝですよ、と最前列を空けてくれて助かる。私らが明らかに社会科見学が目的とわかつてゐる。写真撮影は風景のみ、乗客も含め人を撮影しないやうに、と添乗員。帰還困難区域ではバスの窓も開けないやうに、といはれるが最新型のバスは冷房で窓は開かない。富岡を発つといきなり帰還困難区域。国道六号線は一般車両の通り抜けは制限解除されてゐて自家用車も走つてはゐるが福島県警のパトロール車がやけに目立つ。住民もおらず草が生い茂つた建物と敷地。自動車の屋根にまで植物が這つてゐる。「ひとにやさしいエネルギー 原子力」といふ大熊町の立て看板。動物園のライオンバスといつては例へが悪いが、ライオンのゐない中を恐る/\といふやうに代行バスは進む。双葉町。誰も住んでゐないのだが工場やイベント施設だつた建物はマスクを付けて長袖長ズボンの守衛が国道沿ひで建物の入り口に立つてゐる。過酷な仕事。高瀬川を渡る。浪江町は西北の福島市へと向かう山間は依然、汚染地域指定だが沿岸部は避難解除で浪江もJRは復旧したが市街は空き家ばかりで人影も全く見えず。辛うじて農協など団体の建物のみ作動してゐる様子。浪江で早めの昼飯で町中を少し歩いてみるつもりだつたが駅前には、この秋にレストランカフェオープンと書かれたテナント一つあるだけで今は駅前食堂もなく、こゝで炎天下、空き家となつた建物を見てまわつても……といふ気後れ。代行バスは幸はひに原ノ町往きなので、そのまゝ乗車。バスは南相馬に入る。初めて国道でバイクに乗つた住民を見かける。バイクはその1台のみ。南相馬に入ると核禍の影響は少し弱まるものゝ今度は津波の影響で国道から東側は再整備された広い敷地と遠くの沿岸に防波堤が続くばかり。田畑は壊滅状態のまゝ。国道沿ひにコンビニが1軒営業。まさにライフライン常磐線の小高駅。やつと家屋に住民の生活が垣間見られるが、どの家も窓を閉めてゐて生活を窺ひ知れず。小高を出て原ノ町に向かふとやつとスーパーがあつたり生活感が出てくる。浪江町役場の相馬出張所。昼前で原ノ町で昼食のつもりが駅近くの飲食店はお盆休みも多く代行バスに接続する11:50発の仙台往きに乗つてしまふ。富岡からの、この核禍の区間をもう少し自分の目で見るつもりがライオンを恐れさっと通り過ぎてしまつたライオンバスの乗客のやうで終はる。海岸線に延々と防波堤が続く。土木復興。それはされたが、生活は震災前とは全く違つたものに。13:15仙台着。予定より1本=1時間早くの仙台着。帰省客でごつた返す仙台駅。7年近く住んだ仙台。トランクの荷物はあるしコインロッカーも空いてもゐないのでトランク引きずり駅を出てペデストリアンデッキを渡り名掛丁へ。牛タン喜助の駅前店が3年前の夏は長蛇の列だつたが昼も遅い時間からか席があり牛タンで昼餉。ビール(キリンの仙台地元ラガー)注文したら「ビールにお通しをおつけしてもいゝですか?」と問はれた。お通しを勝手につけてしまふ習慣からの改善か。ドトール珈琲。エスプレッソ注文したら「とても濃い、苦い珈琲で量は少ないですが」と説明される。仙台駅。東京往きのはやぶさ22号。折角の機会なのでグランスクラス。和風の軽食で日本酒(八甲田)いたゞく。子ども連れの4人家族が通路反対側にゐたが子どもはマナーも良く親と話す時もひそひそ声。グランクラスに乗るやうな家族はかういふものか。大宮を過ぎたあたりで飲んだ青森産のシードルが美味。あつといふ間に東京。円タクで麻布鳥居坂の旅寓へ。ずつと東京にゐた家人と再会。シャワー浴び夜は麻布十番の「いぐち上ル」で食事。看板も一切なく貸しビルの3階で、まさに知る人ぞ知る隠れ家的。天ぷらと串カツがコース。若い人には面白い料理だが年寄りは天ぷらか串カツのいずれかで十分。お酒もかなり飲んでも2人で2万円弱。おまかせのデザートは遠慮してセブンイレブン探して白クマのアイス贖ひ旅寓に戻り頬張る。荷造りして早寝。



戦没者慰霊祭で平成の最後に君上は例年のお言葉に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」と。両陛下退席で会場を見渡しゆつくりと頭を下げられる。

終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。