富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水戸その③

fookpaktsuen2018-08-14

農暦七月初四。快晴猛暑。朝から妹の運転で母と三人で水戸から国道50号線を西に一路、下館。下館に来るのは30年以上前に父の所用に付き合つて来て以来。今は筑西市なんて呼ばれてゐる。下館は江戸以来の、戦前の商家の建物もかなり残る商都であつたが今は昔のやうな賑はひもない。鉄道好きには水戸線真岡線関東鉄道常総線が交はる拠点駅。しもだて博物館で安野光雅の絵画展。安野画伯と下館に何か縁あるわけではないが安野光雅の故郷は津和野で津和野と下館はどこか町の風情に似たところあり。幼いころに岩崎ちひろ、そのあとがアタシにとつては安野光雅で、あの欧州中世の不思議な世界にどれだけ癒やされたことか。猛暑炎天下の市街を歩いて板谷波山記念館へ。下館は商家主らが文人趣味育んだ町でもあり醤油製造元であつた波山の生家も父親がかなりの趣味人で三男の波山(1872〜1963)は東京美術学校に彫刻を学び金澤の石川県工業学校で陶芸指導もするやうになり、それを契機に作陶開始。近代の初の陶芸家。かうした人を生むのが風土なるもの。昼に駅向かふの両国寿司。昔は下館に水戸と同じ可奈女といふ鮨やあつたが今はこゝの両国が下館の鮨やでは古株の由。市街に戻ると加波山事件志士之碑といふ案内板あり訪れたのが妙西寺境内。明治初期の自由民権運動加波山事件から百三十余年。それが「立憲政治と自由」を未だ叫ばねばならぬとは……恥じるべき。脱晋三。北関東自動車道で水戸に戻る。真言宗豊山派神崎寺掃墓。すでに供花あり。「誰かかしら」と笑ふ母。十三回忌も過ぎた先考に誰か供花とは父もまんざらではあるまひ。京成百貨店。4階のサザ珈琲店から芸術館側を眺めると泉町一丁目に4軒未だに残る昭和の商店の看板建築が見事。これは歴史遺産で残したいほど。母を家に送り妹とスーパー銭湯。家で簡単に夕食済ませ南町の酒場で旧友と飲み半夜三更に至る。