富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-05-11

農暦三月廿六日。「香港製造」でご愛用のものの一つが上環蘇杭街にある兆成行の美容油。男性用あり。顔に塗るのだらうが地肌が脂性なので顔は別の化粧水を使つてゐて、これは頸まわりに塗るのは老人のせめてもの皺対策で後頭部に塗つて寝ると睡眠中の魘されたアンモニア臭いい汗が随分と緩和される。化粧品といへば漢字の力で「粉底」でファンデーション。音は「ファンデイ」で、「底に粉」でファンデーションの構造的な意味もよくわかる。

▼昨日の晋三子飼ひ柳瀬某小役人のありきたりな国会答弁に愛知県の中村時広知事が面会時の柳瀬氏の名刺を公開。「職員はメインテーブルに座っていた、後ろじゃない」「県職員は子どもの使いじゃない」ときっぱり。天晴れ。柳瀬小役人が「首相案件」といふ県側文書の記述について「普段から首相という言葉は使わないので違和感がある」と反論したことに知事は「地方では総理という言い方はあまりしない、それで首相と書いた可能性は否定できない」「我々からすれば同義だ」と。柳瀬小役人、執務室前廊下でこの件を記者に質され頭下げたが、国会答弁はまだ筋書き通り乗り切つたつもりが県知事のこの反論にはお手上げといふ感あり。そして財務省の矢野某官房長。福田前事務次官セクハラ問題につき被害者が「名乗り出ることがそんなに苦痛なのか」と発言したことにつき衆院厚労委員会で興奮収まらず「テレビ(番組)のボードなどに(自分の)顔写真が出てほとんど『くそ野郎』という感じで報道されたが、そんなことは申し上げていない」「『弁護士事務所は守秘義務があり、かつ名前を伏せて匿名でも無理でしょうか』と申し上げた」と反論。財務省のエリートが国会で自嘲であれ「くそ野郎」発言である。それでも「申し上げた言葉は消えない」と発言撤回せず「それでも繊細さを欠いたとすればおわび申し上げる」と謝罪。官僚のとんでもないメルトダウン立花隆文藝春秋六月号でかつて自民党三角大福中の派閥抗争時代に屡しば政治がストップする事態あつたが当時は「官僚がしっかりしている」ゆゑ国歌運営そのものは盤石ゐたが今は政治と官僚制どちらもがこの為体。世も末。
▼その文藝春秋六月号に進藤榮一先生「二人の鈴木と憲法の青春」が興味深い。一人は鈴木安蔵こちら)。敗戦直後に日本側の憲法改正案まとめた一人。その改正案がGHQ驚かせ占領軍草案起草に至る。もう一人は鈴木義男(こちら)で吉野作造の師事しワイマール憲法時代のドイツに留学、戦後、衆院議員となり憲法小委員会で憲法草案に国民主権、9条2項に「前項の目的を達成するため」と戦争放棄の例外条項加え(解釈によれば)自衛のための戦争可能にし(芦田修正)、25条に社会的生存権等加へる。この二人の鈴木は安蔵が相馬、義男が白河といずれも福島出身。米国の押し付け憲法論に対して福島出身の二人は「薩長がつくる明治150年とは異質な「もう一つの日本」の姿」と進藤先生。

いま内閣は、かつてワイマール憲法がナチ独裁を台頭させた手法に倣うかのように特定秘密保護法共謀罪を制定し「自衛のため以外の戦争」まで認める憲法解釈を閣議決定した。そして緊急事態条項の背邸を憲法9条改定とともに提案する。

といふ進藤先生の苦言は進藤先生のリベラルらしさだが、これが今のこの時期に文藝春秋で述べられる点は興味深い。文藝春秋ですら晋三路線に対しての疑念と思つてよいか。この文春六月号、晋三の疑惑の本丸たる今井秘書官に関する記事に始まり「どうせ取材されるのだから」の本人インタビュー「昭恵夫人は無関係とは言えない」、石破茂の晋三政権批判、前川&片山対談……と盛り沢山で晋三見限った感あり。