富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-02-23

農暦正月初八。朝は濃霧、晝に晴れたが天気予報通り晩に小雨。出先オフィスのたまに使ふiMacでOS更新の最中に不具合あり更新止まつたばかりか再起動せず。十数年ぶりかでハードディスクの内容全て消去して(といつても何も大したものは入つてゐないのだが)システム入れ替へセットして帰宅。韓国冬季五輪女子フィギアスケートで宮原知子も自己最高得点で奮闘はするものゝどこか器械体操に見えて羽生結弦のやうな流れるやうな美しさに欠け4位。個人で参加のロシアでメドヴェージェワのアンナカレリーナ素材にした表現も素晴らしいが、それをすでに陰翳まで取り込んだ表現だとすれば、それに対して15歳の新星ザキトワは明るい太陽そのもので「火の鳥」のやうな後者が金メダル。それにしても燦燦と美しい。春節のいたゞきもので尖東のRoyal Garden Hotel謹製の胡蝶酥(Butterfly Cookies)頬張る。美味。
▼シャングリラホテルのGolden Circle、これもAmex特典でJade級になつてゐたものだが(880で始まるナンバーはAmexとの紐付きという話を青島香格里拉の方に聞いてゐた)年間20泊か10回滞在なんてクリアできないので金卡に格下げされたのが今年年内の予約は確かに2回入れていたものの気がついたらJadeに復帰。これは優待特典多いのでありがたい。先日、創業者のRobert Kwokの自伝読んだご利益かしら。

円やドルなどのいわゆる法定通貨の価値を担保しているのは「国が発行している」という裏付けに加えて、いま手にしているこのお札が明日もあさっても間違いなくお金として受け取ってもらえる、という確信。一方、ビットコインの場合は「国の代わりにシステム自体で安全性を担保しよう」という発想。同時に「現在これだけビットコインが世界中で使われている」という漠然とした事実そのものが信頼を支えている、ということになる。そもそも通貨とは何か。アリストテレスは「物々交換時代の後に必要なものを得る媒介として硬貨が発明された」と論じ、アダム=スミスも「自身の生産物以外の交換可能な商品を「手もとにもっている」目的から貨幣が生まれた」と説く。だが最近の研究では「物々交換から貨幣が生まれた」という理解は誤りだったという説が有力。ギリシャ時代に先立つメソポタミア文明では今でいう貨幣は存在せず、財の交換は、王の権威のもと官僚制度に従って帳簿に記載される形で行われていた。これに対し、王や政府などの権威によらずに「個人の間で価値をやり取りしよう」というのが貨幣の始まり。「通貨を民主化」した仮想通貨はむしろ貨幣本来の趣旨にかなっていると言える。定通貨のように国家という確かな裏付けがないという点が何だか頼りないが、戦争などの非常時には国家が通貨についての約束を簡単に反故にし、お金が紙くずになってしまうのは歴史を見ても明らか。但し仮想通貨の安全性をどこまで担保できる仕組みになっているのか。ブロックチェーンによって取引を公開し参加者全体が監視することで信頼を確保するはずだが「盗品と分かった上で買う人がいる」限り止める手段はない。流出先の口座とその取引記録に印を付けることはできても、お金自体には印は付けられない。同じような事件は今後もまだ続くかもしれません」と尹さん。仮想通貨にリスクはあるが「ダイヤモンドを預けていた宝石商に強盗が入ったから『ダイヤモンドは危ない』と言うようなもの」。仮想通貨に対する不信感には根拠がない、とする見方あり。そもそも<仮想通貨>という訳自体、実体がないというイメージを与えるので不適切。Cryptocurrencyは正確には「暗号通貨」。いずれにせよ、この通貨の有用性に対して今日の投機的上京での危なさは別の話。