富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-02-19

農暦正月初四日。雨水。暦といふのは大したもので春節前にちゃんと暖かくなり天気も春らしい曇天で雨も降り鬱陶しいが多湿。銅鑼湾で散髪のあと(地元では春節前に散髪は済ますもの)官邸で残務整理。午後遅く馴染みの按摩に行くと春節連休持て余した輩多く三が日の連休明けの按摩は客多し。帰宅して自家製コロッケ飰す。今になつてやつと岩波『世界』昨年12月号読む。総選挙後の憂鬱な「政治の軸 再編の行方」といふ内容。ノーベル文学賞受賞のカズオ=イシグロついての二本の論評あり文学にあまり興味ないところ書き手の一人が法政治学者の長谷部恭男先生。カズオ=イシグロの小説『日の名残り』から或る貴族に仕へる老執事の人生観から語る。

人がまず関心を持つのは自分自身の人生であり日々の暮らしである。国際関係は元より国家全体にかかわる国内政治の問題もわざわざ知識を積み情報を確認し熟慮を経て「強い意見」を固めるべく時間やコストをかけるほどのことではない。ここには庶民としての偽りのないまごころが示されている。政治にかかわることは、それに強い関心を抱きエネルギーを注ごうとする少数者に任せていれば足りる。
スティーヴンズ(主人公、執事)にとっては自分がこれと見定めた主人に誠心誠意仕えることこそ彼の人生の核心であった。もともと「民主国家」の一般市民の多数は政治にさしたる関心もなく日々の暮らしにいそしんでいる。情報に疎く熟慮も足りない大衆が政治に関われば国の将来を決する争点にも情緒的な反応しかなし得ず、その時々の「風」に翻弄されて徒に政治の混乱を招くだけである。それは「懸命なことではない」。

民主主義、国民国家といひつゝのこの現実。だがこれは賢人政治が前提であつて政治家が愚かな今日ではどうしやうもないのだが。そして長谷部先生のイシグロの小説観のまとめが興味深い。

ノーベル文学賞の受賞を決定したスウェーデンアカデミーによると、イシグロの作品群は「この世と繋がっているという私たちの思い込みに隠された深淵を明らかにする」。繋がりが「思い込み」であるのは普通、繋がる先の「この世」は客観的で確かなものだからであろう。イシグロの世界では「この世」は必ずしも客観的な確かなものではない。「この世」を形作るのは客観的事実というより人と人との記憶である。

何とも言ひ得てゐるところ。そして、ふと、この「この世と繋がっているという私たちの思い込みに隠された深淵を明らかにする」ことや「この世」は必ずしも客観的な確かなものでもなく「この世」を形作るのは客観的事実というより人と人との記憶なのだといふ指摘は文学作品でいへばノーベル文学賞といへば思ひあたる節は、まさにこの「この世」と不思議世界との境界を往来する記憶たよりのハルキ=ムラカミの物語。長年にわたりノーベル文学賞の最有力候補といはれるムラカミに対して書き振りはかなり違ふが「その世界」の物語でイシグロの受賞なのである。
▼「最長残業」根拠に首相答弁で「厚労省裁量労働とは異なる聞き方」と朝日新聞こちら)。
一般労働者については1カ月のうちで最も長い残業時間を尋ねていた。「最長」の時間を質問すれば長時間の回答が多く集まることは容易に想像できる。一方、裁量労働制で働く人については単に「労働時間の状況」を尋ね最長の残業時間で集計した一般労働者と比べていた。データが恣意的に利用されたとの疑いを持たれかねない重大な疑義だ。(略)問題のデータは3年前に示されたものだ。今国会の目玉法案を通すことを目的に実施された調査ではないだろうが政府は不適切な答弁が作られた意図や経緯について丁寧に説明する必要がある。

⇧「自衛隊を明記することが国民投票でたとえ否定されても自衛隊が合憲であることは変わらない」と晋三。「国民投票改憲案が承認されても否決されても自衛隊は合憲という考えは憲法改正そのものの必要性をゆるがせにする論理」であり正に晋三の立憲政治の理解欠如。「何も変わらないと言うのならば、もうこれは(憲法自衛隊を)書き込む合理性がなくなり国民投票をやるという説得力に欠ける」(民進党大塚耕平代表)。改憲のありなしに関はらず憲法解釈は「変えるつもりがない」で結局は時の政府の政治判断で解釈を変へれるとは。⇧上海の季風書園の閉鎖。“Do you hear the people sing?” “Singing a song of angry men?”と歌劇「レ・ミゼラブル」の歌うたふ500人の上海市民。この書店が中共一党独裁の上海に在り、しかも上海市図書館の地下に店舗があつただけでも中共の奇跡なり。
世界 2017年 12 月号 [雑誌]

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