富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-02-18

農暦正月初三日。曇天。ひつそりとした官邸執務室で残務整理。午後遅く太古城で家人と彼女の旅行鞄購入。岡田屋(AEON)で春節恒例ながら女性下着も正月でおめでたし。いつたい誰が買ふのか、と思ふがナンチャッテに非ずTriumph謹製。帰宅して黄昏に『地形のヒミツが見えてくる 体感!東京凸凹地図』東京地図研究者編著(技術評論社)眺める。東京といふ場所は歩いてゐて本当に高低差があると思ふが、よくぞこの凸凹のある土地にこれだけの大都市が建造されたものと改めて驚く。晩に『郭鶴年自傳』読了。
▼マレーシアの砂糖王でシャングリラホテルを広げ嘉里集團の一大財閥築き上げた郭鶴年(Robert Kuok)の『郭鶴年自傳』読む。マスコミのインタビュー殆ど受けぬ人だが齢九十五。帰泉に赴いてからあれこれ勝手に書かれるのなら自分の目の黒い内に語るべきか元FEER記者のANdrew Tanverの編著。新加坡で李光耀と同世代で若い時に日本軍が新加坡佔領し戦時中は三菱商事の米穀部門に従事し戦後、糖業では三井物産との協調。砂糖業で英国を拠点に欧州で評価され文革時代の中共でも独自のビジネスを展開、その後、地産業やホテル業でも成功。シャングリラホテルは1968年に新加坡でのホテル創業にあたり用地の10%の権利獲得が始まり。ホテル運営のノウハウは米国のWestern Int’l Group(現Westin)と提携するが当時のホテル開発で鶴年の重要なパートナーだつたのが柴田洋三といふ当時、新加坡でマンダリンオリエンタルホテル設計の建築家だつたといふ。「シャングリラ」といふ名は今でこそ隆盛極めるが当時、このホテル開業にあたり鶴年が摩洛哥生まれのユダヤ系フランス人の知己(George Toby)に相談して得たこの名を挙げたところ取締役の間からは「曼谷のマッサージパーラーか」と反対に遭つたといふ。戦時中から戦後、アジアの経済成長期を生き抜いた不世出の富豪。

⇧村山政権を継いだ橋本龍太郎政権が参院選で惨敗し倒れた。ラジカルな金融改革の旗を立てた梶山氏に立ちはだかったのは、派閥の新実力者、野中広務氏である。抜き打ちの派閥幹部会で7奉行の1人、小渕恵三氏擁立の流れをつくり、梶山氏は離派して総裁選を戦うも敗れた。幹事長へと駆け上がり党務を一手に握った野中氏の運命も暗転する。小渕首相が病に倒れ、森喜朗氏を後継首相に担いだが既に世論がその密室選考に背を向ける時代だった。それでも加藤紘一氏を担ぐ心積もりでいたが「加藤の乱」が勃発すればその首相の芽を自ら摘むよりほかなかった。最後は小泉純一郎政権と対決して同じ派閥の参院のドン、青木幹雄氏に背かれ衆寡敵せず、政界を引退した。⇧東北三省=満州の重工業興隆の名残か。