農暦正月初三日。曇天。ひつそりとした官邸執務室で残務整理。午後遅く太古城で家人と彼女の旅行鞄購入。岡田屋(AEON)で春節恒例ながら女性下着も正月でおめでたし。いつたい誰が買ふのか、と思ふがナンチャッテに非ずTriumph謹製。帰宅して黄昏に『地形のヒミツが見えてくる 体感!東京凸凹地図』東京地図研究者編著(技術評論社)眺める。東京といふ場所は歩いてゐて本当に高低差があると思ふが、よくぞこの凸凹のある土地にこれだけの大都市が建造されたものと改めて驚く。晩に『郭鶴年自傳』読了。
▼マレーシアの砂糖王でシャングリラホテルを広げ嘉里集團の一大財閥築き上げた郭鶴年(Robert Kuok)の『郭鶴年自傳』読む。マスコミのインタビュー殆ど受けぬ人だが齢九十五。帰泉に赴いてからあれこれ勝手に書かれるのなら自分の目の黒い内に語るべきか元FEER記者のANdrew Tanverの編著。新加坡で李光耀と同世代で若い時に日本軍が新加坡佔領し戦時中は三菱商事の米穀部門に従事し戦後、糖業では三井物産との協調。砂糖業で英国を拠点に欧州で評価され文革時代の中共でも独自のビジネスを展開、その後、地産業やホテル業でも成功。シャングリラホテルは1968年に新加坡でのホテル創業にあたり用地の10%の権利獲得が始まり。ホテル運営のノウハウは米国のWestern Int’l Group(現Westin)と提携するが当時のホテル開発で鶴年の重要なパートナーだつたのが柴田洋三といふ当時、新加坡でマンダリンオリエンタルホテル設計の建築家だつたといふ。「シャングリラ」といふ名は今でこそ隆盛極めるが当時、このホテル開業にあたり鶴年が摩洛哥生まれのユダヤ系フランス人の知己(George Toby)に相談して得たこの名を挙げたところ取締役の間からは「曼谷のマッサージパーラーか」と反対に遭つたといふ。戦時中から戦後、アジアの経済成長期を生き抜いた不世出の富豪。
@fookpaktsuen: 経世会とは何だったのか(曽我豪)朝日新聞 野中先生の他にイラン特措法で退席は古賀先生ともう一人誰?と確かめたら西田司元自治相だった。派閥政治で田中派等最悪と言われたが今になって思えば派閥政治と中選挙区制度がいかに機能していたか。URL
@fookpaktsuen: 東北3省は困難に直面しているが、建国したころ、この地域が国内総生産の85%を占めていたことを忘れてはならない」 URL