富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

戊戌年正月初一

fookpaktsuen2018-02-16

戌年正月初一。恭囍發財。快晴。初夏のやうな暖かさ。久しぶりに在宅で元朝だといふのに書室片づけや一寸した修理等してゐたら昼。晝餉に蘿蔔糕。午後、テレビで韓国の冬季五輪、男子フィギアで羽生結弦君復活のSPを見てからハーバー沿ひを走る。ジョギングは実に一月の陽暦正月以来。晩は自家製餃子。読みかけになつてゐた『バー「サンボア」の百年』を読んでゐたら半夜三更に至り無性にハイボール飲みたくなる。勿論、サンボアなので氷は入れずウヰスキーソーダのみ。
▼ サンボアは京都で寺町の京都サンボアを二十年近く前に訪れたのが初めて。大阪ではいずれのサンボアも飲む機会逸したまゝで銀座に何度か。現在、大阪に堂島、キタとミナミ、他に梅田、島之内、北新地、天神橋とヒルトンプラザにあり京都は寺町、祇園木屋町の三軒、東京は銀座の他に数寄屋橋通りと浅草。この14軒は創業者からの系列で店のバーテンダーが暖簾わけされたもの。この『バー「サンボア」の百年』はミナミのサンボアで修業して北新地、そして東京で銀座に進出した新谷尚人氏(1961〜)が著者。創業者の岡西繁一(?〜1959)が始めた岡西ミルクホールが 神戸花隈でサンボアとなつたのが1918年で丁度百年。北浜に移り、そこで修業した鍵澤正男氏の堂島、ミナミとなり、同じくバーテンダーだつた中川護録が京都へ、サンボアに出入りしてゐた洋酒輸入の大竹金治郎がキタ。この数奇な御三家の百年のサンボア史を纏めた新谷氏の努力だけでも大したものだがバーテンダーでありながらプロのライターのやうな筆致には実に恐れ入る。この方が纏めなければ忘却されてしまふ物語。サンボアといふ店の名前は岡西ミルクホールの頃に当時、北原白秋を編者とした『ザ厶ボア』という名前(朱欒、葡萄牙語でザボンの意)があり創業者の岡西氏が、そのZAMBOAを拝借したさうだが看板屋がZをSに間違へて看板を作つてしまひSAMBOAになつたといふ謂れが面白い。ちなみに大正末の東都のカフヱパウリスタの「パウリスタ」はサンパウロっ子、カリオカはリオデジャネイロっ子ださうな。
▼毎年春節は米英の総領事館が正月祝賀の面白いヴィデオ発表してゐるが英国が確か昨年から止めてしまひ米国は粛々と続けるが今年のものはかなり地味。

バー「サンボア」の百年

バー「サンボア」の百年