富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

年末休暇その①

農暦十一月廿三日。曇。こゝ数日、両脚ともかなり重く感じる。気温は摂氏13度で季節風も強く防寒ウェアで小走りでジムへ。

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途中にある人気の粥屋(金峰靚靚粥麺)はこの寒さでかなり繁盛。筋肉は適度に酷使すべきなのか少し楽に。昼に台湾のKIKIの老醋撈麺啜り午後は今年最後の香港競馬中継。途中で東京大賞典の中継をCSのグリーンチャンネルで眺める。このところ競馬は運が向ひてゐたが、こんなこと続かないと覚悟して余り強きな投票せず。だが掠りもせず。最終レースにサイズ様、モレイラ様で二番人気の単勝でぎりぎり今日の負債解消。競馬せず本でも読んでゐれば良かつたか。

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晩はグラタン。Louis Jadotの2017年のシャブリを飲む。家人に勧められテレビで中居正広金スマSP(後述)を数日遅れで見る。中野好夫『悪人礼賛』読了。
中居正広金スマSPでジャニーズ事務所でジャニーさんより印綬を帯びプロデュース業に専念するといふ滝沢秀明の特集。父が蒸発し鉛筆も買へなかつたといふ赤貧の少年時代。自分からジャニーズ事務所のオーディション応募してジャニーさんとの遭遇。数多ゐるJr.の少年たちの中でジャニーさんの慧眼に適ひ数年のうちにJr.の棟梁となつたが嵐や後輩たちが次々とデビューするなか温存され当時から築地H君のやうな好事家はタッキーのプロデュース能力と「小さい子好き」で将来はジャニーさん後継かと見抜いてゐたが本人もそれなりにアイドルでブレイクしたものゝトレンディドラマや大河ドラマで主役張つても大成功しては定着せぬ間にアイドルとしては薹が立ちタッキー&翼は今イチ、パッとせぬなか翼君の疾病と活動中止で今回のプロデュース専念。ジャニーズ事務所内の喜多川家での確執(ジャニー社長に抗するメリー副社長→娘のジュリーへの経営権掌握)もあるなか跡目はマッチやヒガシと云はれてゐたのを差し置いての相続。中居君とは不仲説もあつたタッキーだが二人を結ぶのは何よりも信心か。いずれにせよ気になるのは、この番組も含め芸能マスコミのジャニーさん神格化。過去には事務所の少年たちへの性的行為が所属の元アイドルたちから暴露本に書かれたり文藝春秋の執拗なジャニー報道も近頃それも下火。メリー→ジュリーの経営路線は、さうした「清末の北京の芝居小屋での稚児遊び」のやうなジャニーさんテイストの払拭なのだらうが毛沢東の「犯した誤りより業績が多大」と一緒なのかジャニーさんが起訴もされずタッキーに分社化してまで?ステージ重視のジャニーワールドの継承。そこで「ジャニー社長」が神話のやうに美化されるのだから。それはやはり健全と隠微で、人はどこか隠微に惹かれるところなのか。

滝沢秀明金スマ」出演で飛び交う中居正広「ジャニーズ帝国へ宣戦布告」説!(朝日芸能) https://t.co/9kTmODov7u #
安野光雅編による 悪人礼賛―中野好夫エッセイ集 (ちくま文庫)

好夫を最初に知つたのは高校生の時に貪り読んでゐた太宰治が『如是我聞』で中野を「貪婪、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人」と罵倒した一文。これは中野が太宰の短編『父』を「まことに面白く読めたが、翌る朝になったら何も残らぬ」と評し(ある面、正鵠を射つた指摘だが)中野は「場所もあろうに夫人の家の鼻の先から他の女と抱き合って浮び上るなどもはや醜態の極である」「太宰の生き方の如きはおよそよき社会を自から破壊する底の反社会エゴイズムにほかならない」と太宰を罵倒。その中野好夫の訳者とまでは気づかぬまゝ中野の英文学翻訳をディケンズモームの『月と六ペンス』や雨』、コンラッドの『闇の奥』といくつも読んでいたのだが。著書では岩波文庫の『アラビアのロレンス』や『蘆花徳富健二郎』筑摩書房(全3巻)、『人は獣に及ばず』は今でも余の書架にあり。この『悪人礼賛』では表題の短編随筆で「およそ世の中に善意の善人ほど始末に困るものはないのである」と、これはつくづく頷ける名言。それにしても、この評論集は戦後の明るい時代のリベラルによる元気な精神そのもの。先の大戦と敗戦後の講和問題での全面講和主張する中野の小泉信三への批判も痛快。巻末にある「羽仁五郎さんに伺う」(1964年)も印象深い。いつも正義感強い中野の印象あるが、務台理作の戦時中の翼賛体制加担について戦後、自己批判したものゝ、その文言に「迂遠といえば迂遠きわまるわけだが致し方ない」といふ言ひ草がいけないが羽仁五郎が強烈に務台を批判し、それに対して中野が羽仁の指摘もわかるが務台が正直に戦時中の自分を猛省したのだから許してやつていゝぢゃないか、と。レジスタンス派で治安維持法で逮捕までされてゐる、畏友三木清を獄中死させたと悲しむ五郎が中野の戦時中は翼賛的で戦後その瑕疵を認めたものゝ「あの当時は致し方なかつた」なんて甘っちょろい発言を許すはずない。それでも中野は左派リベラルが教条主義的に内部分裂や対立する弱さを感じてゐたのだらうが。

ぼく自身は再軍備反対であり「卑屈なる」平和主義者であるが平和運動もまた厳にスローガン化を戒めねばならぬ。スローガン化の危険は平和主義の側にもまた大いにあるのである。いわゆる愛国心の如きも同様であろう。いわゆる愛国者は、まず今日の世界の中にあって国家というものの意味、というよりも国家というものの存在意味がいかに変化してきたか、またいかに変化しなければならなぬか、ということを考えなければならぬはずだ。でなければ愛国心もまた標語化する危険性が大いにある。

ぼくは現存する明治の日本人諸先輩に対し、その抱く見解の相違は別として人間として非常に尊敬を抱いている。しかしそれら先輩に共通して固守観念のように残念に思うことは国家というものに関する考え方である。ことひとたび国家に関すると反射的にパトス的に十九世紀における民族国家全盛時代、したがってその延長としての明治時代の富国強兵時代の祖国愛の亡霊というのが、どうしようもなく顔を出してくることである。その意味でぼくは、ちょうど旧幕時代の藩観念が、やがて明治の民族国家観念によって止揚されたように、現代の民族国家というものもまた、もうあまり遠くない将来において当然否定されなければならぬ、いや、好むと好まぬにかかわらず否定されるに決まっていると信じている非愛国者だが、それだけに愛国心というものの標準化が、その好ましからぬ呪術性を発揮することを今から深く憂慮をもって警戒するのだ。

……なんて今まさに晋三の御代にこの愛国心の亡霊が跋扈してゐる時代まさに、その危惧の通りになつてゐるのだ。