富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

羊城その④

農暦十月廿五日。晴。昨日から宿の部屋から珠江を見下ろすと川岸の整備された緑地帯を可愛らしい電車が走つてゐる。調べてみると広州塘から珠江岸に沿つて走り最後は少し内部に入り地下鉄8号線の終点・万勝圍までのLRTである。家人もよく寝て(といふか私も10時間睡眠だつたが)体調も復活したといふのでラウンジで朝食のあと晴天で気温も摂氏22度と心地良くホテルを出て珠江沿岸のLRT乗り場へ。無人化されたホームで微信の電子財布で2元の切符を買ひ電車を待つ。ホームも低く線路は芝生のなかに敷かれ環境も優しく見事なイメージ設計。運転も無人化しさうだが、かうも緑地帯の中でいつ誰が飛び出してくるかわからない線路では無人化は危険。

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何とも微笑ましい交通システムだが車内には切符検札する車掌の他に乗客の荷物チェックが主な仕事の警備員も配置。上りで広州塔へ。少し先に広州客輪(珠江連絡船)の波止場あり。珠江上り下りの観光船もあるが30分に1本の通常の連絡線に乗る。終点は上流の芳村。中共の指導の下、特色ある社会主義計画経済のもと順調に経済発展進め「富裕強国」実現に向け珠江新城のどこまで建てるのか?と驚く超高層ビル眺めながら次第に上流の旧市街方面へ。

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建物も少し老朽化してゐて広州を初めて訪れた35年前からのこと彷彿。大河の物語。歴史。橋を架けることの政治性。沙面の租界建築。芳村まで行かず黄沙で下船(あとになつて芳村に行くと鉄道遺蹟あつたことを知る)。黄沙には広州の水産市場あり。沙面に渡り旧租界漫歩もありだが観光化も著しく日曜の午前中はかなりの人出のやう。黄沙から二沙島行きの路線バスに乗り今度は陸路を珠江岸に車窓からの見物。二沙島。リゾート風の高級住宅地。島の中心は運動施設で、島の東側は広州美術館などアート系の施設が並ぶ。その一番端の文立方なる、一寸無理のある商業施設に寄り、付近の所得の高い住民相手なのか洗練された小さな超級市場で、ホテルに戻つてから食べる昼餉贖ふ(ケバブと杯麺のラクサ)。島の中心の緑地帯は遊んだり日向ぼっこの家族やカップル。かうして二沙島に佇んでゐると本当に今の生活って幸せだよね、と思へてしまふ。政治的自由(それにリスクとしてある政治的不安定と混乱)さへ瞑れば、中共一党独裁に批判もなければ、かうした小康なる生活の保障。少なくともいやなものは目にしなくてもいい。最近は美術館とか興味もなく二沙島のアートエリア歩くには一寸距離もあり路線バスで広州大橋の袂へ。歩いて大橋渡り珠江沿岸を下手に歩き広州塔。こゝからまたLRTでホテルに戻る。正午すぎ。昼餉。午睡。ジムのサウナに一浴。日記など綴り午後4時のレイトチェックアウト。シャングリラ広州のスタッフはいたつて誰彼とも親切。16時発のホテルのシャトルバスで広州東站へ。珠江新城は日曜夕方とて自動車の交通量多し。この一帯が次々と再開発されるなか30年前は郊外の新興開発地であつたのであらう「洗村」が地産獣らに狙はれてゐるやうで着々と住民排除、老朽化した集合住宅立ち退きの手はずのやうだが住民が反対運動起こしてゐるやうで(中国では命がけである)、建物の屋上に赤旗がいくつもはためいてゐる。

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広州東站でのバス到着時間は16:50でシャングリラ広州が比較的郊外とはいへ50分もかゝるか?と思つた珠江新城に入つてからの渋滞で東站近くに着くまで40分。ひとのよい運転手は「これから送迎口まで行くまで乗つてたら明日になっちまうから此処で下車したほうが早いよ」と東站隣のショッピングセンター(Aeonに無印、ユニクロがある)の外で下ろしてくれる。免税でバランタイン17年を調達して17:33発の香港行きZ803列車に乗る。ちょうど夕食の時間にかゝり食堂車もあり四川風か炒め物のいゝにほひが出発前のホームにも漂つてゐて、食堂車に行かずとも車内で作りたての弁当販売もあつたのだが站構内のコンビニで購入したおにぎり(中国で今では普通に冷や飯のおにぎりを売つてゐる)で軽く空腹を満たす。昨日の日記綴つてゐるうちに香港入境。かつては東莞の常平で一旦、乗客全員降車の上で駅舎で出境手続きだつたのが今では乗車駅での出境で常平停車時間分のロス解消は効果的だつたが近い将来は在来線も香港で「一地両検」になるのかしら。香港到着。紅磡站から乗つたタクシーはフロントガラスにスマホ5台並べて客からのタクシー予約を他の運転手に手配しながらの運転。

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危険極まりなし。午後8時に陋宅に戻る。

一晃眼,魯迅寫〈阿Q正傳〉,已是百年前的事。當時眾說紛紜,有人批評魯迅的看法「帶點病態」,也有人認為他在「冷嘲」,而魯迅本人則澄清,〈阿Q正傳〉是旨在寫出中國「國民的魂靈」(見〈俄文譯本〈阿Q正傳〉序〉)。中國人看〈阿Q正傳〉,大概有點當局者迷,像我們看丁蟹,總一廂情願相信自己並非故事中那可笑復可憐的人。但現實是:世上沒有丁蟹會同意自己是丁蟹,也沒有阿Q會覺得自己很阿Q。
中國人看阿Q會有盲點,眼光反不如洋人銳利。比利時漢學家李克曼(Simon Leys)對阿Q精神的解讀,就遠比作者所言更加利落,也比中國評論者更加周全。李克曼在〈阿Q仍活着嗎?〉(Ah Q vit-il encore ?)一文中,指出阿Q體現了中國人的普遍特點。什麼特點?那就是混合了「機靈與愚蠢,狂妄與怯懦,自負與奴性,犬儒與天真,蒙昧與智慧,卑污與驕傲」。(d'astuce et de bêtise, d'arrogance et de couardise, de suffisance et de servilité, de cynisme et de naïveté, d'obscurantisme et de sagesse, d'abjection et de fierté)引號內的三十個字是我的翻譯,代表李克曼對阿Q的理解,也反映他對中國人的看法。這三十字真言分成五對形容詞,每對彷彿是個太極,一陰一陽,相反相成,句句充滿矛盾,字字切合現實。對照一下當今中國,李克曼簡直是一針放血,恐怕連魯迅也寫不出來。

(略……ここで先日の人間の遺伝子操作成功事例報告の若い研究者の話)
百年前的時代,限制了魯迅的想像;但今天的時代,大抵還未突破李克曼的描述。李克曼最厲害之處,是點出了我國國民魂靈的複雜和矛盾。中國人熱愛標榜道德,卻不喜歡實踐道德,所以能夠一方面掃黃打非,一方面踩紅線打飛機。即使荒謬如賀建奎,做了最不道德的事,仍沾沾自喜是最偉大的英雄,也還是走不出那三十字真言的範疇──這不就是「卑污與驕傲」的雜種嗎?唯獨是跑馬拉松也抄捷徑、找槍手代跑,太不可思議了,也許連李克曼也解釋不了。馬拉松作弊,事件性質近乎嫖妓也要請槍,這已經不是突破道德底線,而是超乎人類想像。

▼藻谷浩介「入管法改正の愚策」人手確保は少子化対策で(毎日新聞
今回の入管法改正で今後5年間に外国人労働者35万人増加見込み。そもそも日本の在留外国人は2012年末の203万人から今年6月末には264万人と過去5年半で60万人以上増加。それでも人手不足は深刻なのが35万人追加で解消するはずもなし。他方ここ数年で低賃金の外国人労働者急増の自治体では日本語解さぬ子どものの教育や医療等への対処に疲弊。人手不足は少子化ゆゑ。共稼ぎ家庭の子育て支援充実する島根県では25〜39歳の女性就業率は全国1位で出生率合計特殊出生率)は2位。かりに日本全国で25歳以上の女性就業率が島根県と同水準になれば(2020年時点でさうなつたとすると5年前より)371万人多くなる。膨大な社会的コスト払ひ外国人低賃金労働者増やすよりも女性に就労の機会を。

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