富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾映画二本

農暦十月十四日。快晴。早晩に金鐘から九龍側に海潜らうと金鐘のMTRホームは芋を洗ふ混雑で荃湾線の上りで中環行きに一旦乗り中環で折り返しは(西武新宿線で下りに乗るのに高田馬場から新宿に行く感覚で)誰もが同じこと考へるのは当然で中環でも折り返し客で席が埋まるほど。もう日暮れも早く十四夜の月を愛でる。尖沙咀で映画の前にバーBに軽くハイボール一酌……のつもりがバーテンダーY君が“Cocchi”のベルモット、倫敦のサヴォイホテル限定のがあるんですよ、と。さういはれると飲まないわけにいかず。ビターまでサヴォイ。

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マティーニのあとハイボールも飲んでしまつてほろ酔ひ。The Oneの映画館で台湾の崔永徽監督『只有大海知道』見る。


台湾南部の離島でフィリピン系の原住民タオ族(かつてヤミ族と呼ばれてをり鳥居龍蔵博士の調査あり)が住まふ蘭嶼が舞台。映画は冒頭のトピックスが巧妙で、いきなり映画の世界に引き込まれる。子役を上手く使ふこと。タオ族の多くは耶蘇。大人の多くが「台湾」に出稼ぎ。蘭嶼の住民が本土を「台湾」と呼ぶのは香港で九龍、新界から見て香港島を「香港」と呼ぶ感覚か。現地語を話す祖母、出稼ぎから戻れば母には現地語、息子には国語を話す父と国語しか離さぬ孫。小学校で現地の伝統舞踊の継承と本土の高雄で開催される民族舞踊の発表会への出演。男の子は伝統的な褌姿を恥じる。ソーラン節ととても似たフレーズの歌と踊り。父は台湾での出稼ぎが上手くゐかず帰省して貧しい母にも無心。祖母は最後の蓄へは孫の教育のため。帰省した父が少年に、少年がまだ一度も訪れたことのない本土の高雄のことを話す。大都会で蘭嶼のやうな海は美しくないが愛河といふ美しい川があるといふ*1。本土から蘭嶼に遣られた青年教師と島の子どもたちとの物語は、さう聞くと文科省推薦のやうな美談。だが上手く社会問題も取り込んでゐる。高雄での発表会に来た蘭嶼の子どもたち。少年は父との再会を楽しみにしてゐるが……。いろ/\あつた末、勝手に夜の愛河で泳ぐ少年。教師に少年は高雄には道がたくさんある、一本道しかない蘭嶼との違ふ、と呟くと教師曰く「只有一條比較好」。この映画の話はかなり実話に基づく。

かなりやゔぁいほど教師の熱い思い入れ。映画が終はり40分後に太古の映画館で次の台湾映画あり。いずれの映画も毎秋の台湾文化節での映画。映画の最中に食べようとサンドウィッチ買つてあつたが商業映画館とはいへ上述の映画で飲食する客をらず。The Oneの楼上からのエスカレータに乗りながら下品にもサンドウィッチ頬張る。驟雨あつたやう。太古の映画館。徐譽庭と許智彥が共同監督の『誰先愛上他的』見る。


 大学教授の夫、キャリアウーマンの母と一人息子といふ何不自由ない家庭だが夫は実はゲイで同性の恋人がゐて妻に離婚を求める……とかうしたストーリーは今では平凡的過ぎるが、この物語ではそこまでは前提。この話では夫の生命保険が、妻にしてみれば息子の教育資金のはずが、それの受益者が夫の愛人になつてゐたことから始まる。愛人は台北でアングラ演劇を主宰し、かなり人格破綻のやう。これも出来過ぎの話のやうだが不錯ではある。今晩見た二本の台湾映画に共通することは「台湾特色」といふのか、台湾特有の価値観、「思い入れ」の存在。これは大陸とも香港とも違ふもの。よつて今更それが中国なるものに吸収され難いのは事実。今週末、台湾では統一地方選挙、いくつかの重要な国民投票がある。

*1:実際の愛河は台湾の市街を流れ今でこそだいぶ水質改善されたが美しいには遠い環境なのが現実。