富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

サントリー角が7,000円

農暦九月廿八日。晴。家人に聞いて驚いたがAeonでサントリーの角がHK$480つまり7000円近く。

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いくら日本産ウヰスキーが人気で品薄にせよ賣る阿呆に買ふ阿呆……あきれて言葉もなし。高いほうが寧ろ賣れるのかしら。産地「東京」も気になるが。角がハイボール人気でも日本での希望小売価格は1,590円で楽天最安値は1,340円。

7,000円あればサントリーなら白州のシングルモルト購入できる。

酒飲みゆゑにかうした気狂ひ騒ぎが全く理解できない。晩に帰宅途中バス乗り換へで北角。天然椰子號を覗くと看板猫が帳場にきりゝと姿良し。凛々しさに惚れ惚れ。

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2008年のMacworldでSteve Jobs師が舞台上、書類用の茶封筒から取り出した時のあのMacBook Airの衝撃*1


Macworld San Francisco 2008-The MacBook Air Intro (Pt. 1)

あれから10年。素晴らしく美しく機能的なノートブックでアタシも愛用。当初から完成形であつたゆゑマイナーチェンジは何度かあつたものの大きな変更もなく(強いていへば2012年USB3.0ポート初搭載と電源コネクターの変更程度)、2016年に11吋型が製造中止となり、2015年に新型MacBook発表されたことで、またiPad Proの登場で「もはやノートブックの時代は終はつた」感濃厚となり「Airはもう新型は出ない」と信じられていた。MacBookは性能こそ十分なものの何よりも好事家以外にはどうでもいゝことだがAirは「背面の蘋果(アップル)が光る」ことが美しいのに新型Mac Bookでは、これが光らないことだけでも、どこか選びたくない、となる。スタバで未だにノートブック持参の客は圧倒的にAppleで、しかも背面の蘋果が光るAirであることが、どれだけ一部のユーザーにAirが愛されてゐるか、の証左。アタシなど、さらにこゝに「とらや」の羊羹のステッカー貼ることでかなり悦に浸つてゐた。

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それが、もう時間の問題で淘汰されると思つてゐた矢先での新型Airの発売なのである。で浮き足立つたアタシだが新型のAirでは背面の蘋果は光らないのである。これで食指動かぬのは我ながら何とも……。上記のSCMPの記事では

The MacBook Air’s improvements are mostly the minimum Apple could get away with… If you want Apple’s vision today, look to the iPad Pro.

 と、やはり冷たい。

台北市長で、第三極で総統に?という声も高い柯文哲は連戰並みに拙い書法だつた。字のバランスも悪いので二行目に目が入つて「景願會社」と読んでしまつた。

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だが改めて見てみると柯文哲のほうが連戰よりはまだマシか。

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いずれにせよ連戰も国民党のプリンスだが李登輝と袂を分ち第三極となり、柯文哲も国民党と民進党の二大政党の膠着のなか第三極として浮上と思ふと「台湾の第三極は悪筆」なのか。アタシも暇なので大三極といへば、で宋楚瑜の書も見てみる。

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悪筆二書を見た所為か、それなりに達筆に見えてしまふ。

辺野古工事再開 国と県は粘り強く協議せよ : 読売新聞 https://t.co/AYfGM9hCl0 タイトルこそマトモそうだが内容は沖縄に判断の反省促すだけのバカ極まりなき愚論、こんな新聞が発行部最大という日本の悲劇。
▼在日ウイグル人に募る不安:両親や弟が再教育施設に 「帰ったら自分も…」毎日新聞 https://t.co/7pJyvp5Fnd

かつての大日本帝国が戦略的大陸政策有してゐたにせよ在野では宮崎滔天ら中国革命支持する精神があり外交官がユダヤ人に通過査証与へ援けた時代もあつたが今はかうしたウイグル支援もない。同じ国内で琉球も処分のまゝなのだから。

*1:今この映像を改めて見てみるとAirの紹介の前にライバル社のノートブックで比較するのにSonyのものを敢えて使つたのは、やはりソニーにノートブック製造の話を持ちかけて挫折した話を彷彿させられるところ。