富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

江湖とは何か

農暦九月廿六日。土曜日で休み。午前中、Quarry Bay沿岸ジョギング。太古坊で次々とオフィスビルの複合体としての建設が続く。窓工事で危険な作業だがアーム操作する男は寛いでタブレット見ながら暇つぶし。

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午後遅く銅羅湾へ。久々の「坊主買ひ」はNoise-masking Sleepbudsなるもの(こちら)。

さて、これでどの程度の安眠ができるか、お楽しみ。晩に陋宅で大根おろしの鍋で韮を煮て豚肉のしゃぶ/\。東京12チャンネルアド街ック天国の上野寛永寺界隈特集を見る。ほとんど全て知つたやうなことばかりだが、ふと気づくとこの番組と、それの前の出川の充電バイク旅の番組で流れる音楽が1980年代のポップスやロックであることに気づく。出川の電気バイクの旅でボブ=マーリーが流れ上野でピンクフロイド。よく考へれば違和感あるが当時の音楽好きにはとても心地よい。

中国語でイメージ的に想像がなか/\難しい言葉は少なくない。その中でもアタシが一番ピンとこない言葉が、この「江湖」。香江第一筆と誉れ高き陶傑兄が蘋果日報の連載随筆で、この「江湖」取り上げてゐるのは金庸先生逝去にあたり金庸武侠小説華人世界でどれだけ読まれようと英訳が難しいといふ話。

武俠小說很難英譯,因為翻譯小說,不只是語文,還有故事情節。這種故事,如此人物,為什麼會在這樣的國家發生?這就觸及武俠小說世界裏的文化。
首先,就是整個大環境,叫做「江湖」。
江湖是什麼東西?許多人說,很容易,有人的地方,就叫做江湖。

人がゐるところが即ち「江湖」だと。商務印書館の現代漢語詞典でも「四方各地」とある。なんぢゃそりゃ、と思ふほど漠然とした意。人が住んでゐるやうな場所はどこも江湖か、山合ひでも砂漠でも人は住む。それでも江湖といふのは浙江の長江中下流域、江西省湖南省、さらに狭義では長江と洞庭湖の二文字を取れば江湖。浙江省の水郷地帯のやうに清流があり田畑が拓け人の住む集落があり家々の竃から湯気が上がり……と、それが安住の幸せであり、その象徴的文語が「江湖」。禅宗には禅宗で禅僧の住まふ世界の安居が江湖で、武侠物ではその舞台となる一般世界とは離れた或る処が江湖となると、何とも定義づけの難しい「或る空間」を表す言葉で確かに英訳はできないか。