富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

周末土曜の九龍城

農暦九月初五。先週末は休めなかつたが今週は二日確保。家人と、といふより一人でも下手したら1年ぶり?で裏山に入りトレイルコース歩く。大型台風から3週間余、倒木で伐採された樹木から、もう芽吹き。自然の力の逞しさに驚きつ「あゝ、私もこれに負けず頑張らないと」と思ふやうなことは昔はなかつたが今ではしみじみと……我ながら年をとつた。

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昼に半田麺啜る。周末の昼食は他に何かないのか。午睡。読書。少しずつProf. Wu Hung(巫鴻、こちら)の大著『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』監訳:中野美代子、訳:大谷通順国書刊行会)を読んでゐる。

北京をつくりなおす: 政治空間としての天安門広場
 

天安門広場の政治空間制は実際に自分の足であの場に立つてみた者にしかわからない。1985年の夏にアタシは初めて天安門広場訪れたが、あの広さと権威にはたじ/\としたものゝ当時はとても緩い時代で広州からの夜汽車で知り合つた英国人T兄と、彼が北京の安宿ですでに北京を去つたバックパッカーの友人から「中共では当時、罰する法律もないあるもの」が遺されてをり、さすがにヒッピーくずれのガイジン多き永定門近くの安宿では匂ふのも何だから、どこか場所はないか?とT兄に相談され、一番広々とした場所なら天安門広場でしょ、なんて笑つてゐたのだから、のどかな時代。そこが4年後に六四屠殺となるのだから。その十年後には北京マラソンで2度だつたか訪れたがマラソンのスタートがこゝで関係者以外立ち入り禁止だつたが家人が香港の何のレースだつたかスタッフ証を持参してゐて、それを翳すと制限区域にも入れたのだから。アタシには祖父が戦前に旅したときの「日譯最新北京詳図」といふ詳細な大版地図あり、これを陋宅居間に額に入れて眺めてゐる。

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夕方、これも久々で九龍城へ。いつもの食材掃貨の順を流していつものやうに金蘭花タイ料理で夕食。数年前までのタイ料理ブームも去つたか。昔は「美味しくて安い」だつたのが今では「美味しいかもしれないけど高い」。二人で普通に食べて6千円です、である。それに比べ日本なら6千円出せば……で美味しいものがサービスも良い環境で、なのだから日本に観光客押し寄せもわかる。外国人客増加は安倍晋三の成果にあらず。むしろアホノミクスで実質的デフレ続いてゐることの影響大。タイ料理屋に掲げられる国王夫妻の肖像画は今もつてプミポン前国王である。

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いつものやうに金満堂で甘味。店猫を愛でる。

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九龍城 金満堂甜品

帰宅してテレビ東京出没!アド街ック天国」見る。三ノ輪の特集。この番組、町の紹介で「アドバタイズ」で「ドラマチックに」を掛けて「アド街ック」なのださうな(今日まで知らず)。

築地から豊洲への市場移転。豊洲に否定的な記事目立つ。「豊洲ブランド多難」といふ毎日新聞の記事で見開きの頁も「市場 潮目の変化警戒」と開業数日で、もうその域の悲観なのか、と思つたら世界株式市場であつた。

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