富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

靖国の社に遠き島々の命どぅ宝みゆき慰さむ

農暦九月初二。民国107年の双十節。かつては中共国慶節の十日後、青天白日旗が旗めいた香港であつたが今は昔。天気予報外れ通り雨どころか昼から香港全域で大雨。晩に今季初めてで韮とおろし大根の鍋で豚肉のしゃぶしゃぶ。

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▼香港政府リンテイゲツガ行政長官の施政方針演説。ランタオ島東域の周公島、喜霊洲等を埋め立て大規模な住宅団地建設だといふ。これ以上の埋め立ては最後はマカオのやうに全域が一つの土地になるのか、何より海洋の生態系の破壊。そんな埋め立てと自然破壊するより新界の香港ゴルフクラブの広大な土地供与を止め宅地開発だろ、と市民団体。他に香港島と九龍との海底トンネルの料金調整による車両抑制と公共交通機関優遇(これは真っ当)。また電子タバコは莨だけでなく器具や関連産品の販売も全面禁止に、と。それでゐて電子タバコ吸引禁止まではせず。何ら意味なしと喫煙者も禁煙団体も疑問呈す。これは電子タバコ産業せず禁止とだけした中央政府の政策追従以外の何ものでもなし。演説後の記者会見では香港民族党代表を8月にFCCに招き講演させたFCC副代表のFT記者に香港での就労ビザ延長拒み、この記者が曼谷から還ると7日の滞在しか許可しなかつた問題についてはリンテイゲツガ、この判断の詳細は今後も一切公表せぬと突っぱね、この措置が香港の言論や報道の自由に障害となるものに非ずと。何を言つてゐるのか。

香港銅羅湾のExcelsior Hotelが来年3月で閉業。Mandarin Orirantal Hotel傘下。複合商業ビルに建替。

Built on Plot 1, the very first land parcel sold after Hong Kong became a British colony in 1841, the site was originally a warehouse of the British conglomerate Jardine Matheson, located on Gloucester Road across the Royal Hong Kong Yacht Club, and around the corner from Victoria Park.

 1983年だつたか郷里商店街の歳末福引だつたか当選の方が行けなくなつたか、それに便乗なのか母から突然「パスポート持ってるんでしょ?」と電話あり母と一緒にアタシにとつて初の海外旅行が香港で泊まりがこのホテル。当時はホテルから見下ろす湾の避風塘には蛋民が居住する船が何隻も停泊し、屋形舟や料理供す舟も浮かび何とも香港らしさの風情あり。ありがちな中2日の観光ツアーでアタシが日程に加わらず勝手に歩いてゐたが最後の日だけは尖東の日本料理屋での和朝食のあと空港へ向かふ迄は買ひ物で観光バスの中で不貞寝してゐたらガイドのお兄さんに免税店での買ひ物に「買はなくてもいゝから入店してくれ」と懇願された。その翌年に中共入境のために香港で査証取りに再訪で香港は好きな都市だつたが6年後まさかこゝに居住することになるとは。

靖国神社宮司が退任の意向 皇室批判報道で宮内庁に陳謝:https://t.co/brFydXUmcv 陛下のお気持ちを畏れ多くも勝手に詠む
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▼初代内閣安全保障室長・佐々淳行さん、死去87歳:朝日新聞 https://t.co/s18aZDmrK5

東大法卒で現・警察庁入庁。26歳で警察大学校助教授、34歳で大分県警警務部長、1965年、佐々35歳のときに香港総領事館の領事となり当時、中共文革余波での反英暴動。日本に戻り警視庁警備部警備第一課長になれば70年安保で安田講堂極左対策のプロとしてあさま山荘事件警備実施及び広報担当幕僚長として活躍。45歳で三重県警本部長。防衛庁に移り1984年に防衛施設庁長官(54歳)。中曽根内閣で内閣官房に新設の内閣安全保障室の初代室長。まさに佐々在るところに危機あり、での適材適所か。香港領事時代の反英暴動は、その時の八面六臂の活躍は自著に詳しいが当時を知る方に話を聞くかぎり邦人がそれほど危険な状況に非ず、と。佐々先生らしさの奇書か。2003年12月に香港で佐々先生の講演会ありアタシも拝聴。当時の日記読むと酷評は怨念の如し(こちら)。

 ▼東京オリンピックから54年。NHK NW9で開会式、聖火ランナー入場で開会式に並んだ各国選手団が列を乱し聖火台に上がる聖火ランナーの方に集まり、といふ想定外の事態あり。その貴重な映像残したといふ青山だかの僧侶へのインタビューとその映像。この場面、市川崑監督のドキュメンタリー映画東京オリンピック』にあつたはずで今更なネタと思つたが案の定、その映画の撮影師も健全でその画像も流れる。当時その列を乱した選手団は?といふのが今日のネタのポイントで、日本選手団が列を乱すはずもなく「きっとラテン系だろ」と思つたら、やはり阿根廷の選手らが主。NHKはその選手の証言を得るべくアルゼンチンまで取材に……暇だね。その時の元選手曰く聖火ランナーのサカイ青年が原爆投下の1時間半前に生まれ戦後の育ち、さういふ平和の証のやうな感動から……と何だか半世紀経ちさうした物語が紡がれる感あり。