農暦九月十八日。ホテルを10時に出てUberでトヨタカムリが数分で来てUS$31で45分ほどでManhattanのペンシルバニア站。途中、マンハッタン橋からチャイナタウンを抜け(初めて)、渋滞避けハドソン河岸から10番街に入りロワーマンハッタンの観光。ペン站から11時すぎの列車でニューワーク空港站へ。ペン站は地上にあつたものを1960年代だかに地下鉄道にしたのだが地下に幾本もの線路とプラットホームがあり、列車がペン站を出るとさらに地下に引き込み線や操車場までが巨大な闇の中に広がつてゐる。それに見とれてゐるうちに列車はハドソン川を渡り殺風景な郊外にと出る。紐育の三大空港に接続する鉄道站とは思へないローカル線の空港站。空港列車で第3ターミナルへ。UAのプレミアでチェックインするがセルフでLCC並みの簡便、さらに愛想もない。家人と2つの荷物が1つだけしか優先にならず文句をいふとSQのゴールドは私だけで、といふ。シニアの係員も来て「システム上はかうなる」と言ふのだが香港からの往路も他のSQやANAのフライトでもこんな扱ひはない、といふとシステムの判断で自分の判断ではない、といふがアタシが引き下がらぬと「今回は俺の判断で優先のタッグを貼る」と宣つた上で「次の搭乗の時は俺を探せ」と、このへんの感覚がどうもよくわからない。出境とセキュリティはFast Trackもなければプレミアも閉鎖されたまゝで長蛇の列で40分ほどの行列。UAの混雑したラウンジ。やはりマラソンで身体が疲れてゐるのかスープがやたらと胃の腑に滲みる。香港からのフライトの遅れもあり15:05発で14:15分搭乗のフライトは出発が16:25分となる。実際の搭乗は30分近く遅れ離陸のため飛行機が動き出したのが18時頃。香港到着は明日の夜かなり遅くなるだらう。
▼昨日の紐育マラソン拾遺。今日(レース翌日)の紐育時報によれば5万人の参加者のうち⅓が一般枠で応募者の17%が幸運にも選ばれたさうで、つまり6倍でナンチャッテ応募のアタシがビギナーズラックで当たつてゐた。アタシのフルマラソン出場は先考の余命僅かとなつてゐた2005年春の香港マラソンで走りながら運動好きだつた父に子どものころ余りに運動嫌ひのアタシに父は「これが自分の息子か」とさぞや落胆してゐただらう、その愚息が父の生前にフルマラソンにまで出てゐるだけで少しでも喜んでくれるかしら、と思ひながら走つてゐたのが最期。ハーフも7、8年は走つてゐなかつたので今回のロングランは本当に久々。何よりもアタシ自身の屈辱は35kmくらゐでNIKEのランニングアプリを作動させてゐたiWatchが「バッテリは残り10%」と出てセントラルパークに入つて40kmでオフになつたこと。せめてiWatchの作動する5時間で完走したかつた(笑)。今回の女性の優勝者は米国人で、米国人の優勝が40年ぶりださう。それでも1978年以来と聞くと1978年から40年といふことの方に違和感あり。マラソンで給水所の多さは特筆すべき。1哩おき?でミネラルウォーターとゲータレードで5万人のランナーに十分な量とボランティアの人出が立派。バナナなど補給は遅いランナーにはもうないが沿道で応援の市民がバナナやチョコレート、ビスケットなどお振る舞ひが十分で有難い限り。マンハッタンの一番街あたりではビールやワインもあつたが遉がに頂かず。音楽もロックから、ブルース、ラップ、ドラムビート、中南米音楽や和太鼓まで多数。ブルックリンやハーレムでのゴスペルは格別。応援の看板や垂れ幕、仮装なども多数だが嫌われ者はやはりトランプで「トランプでもrun(治世)できるのだから、あなたも走れる」とか「走れ!トランプが追いかけてくるぞ」など秀逸。
▼そのトランプは来日。横田基地から川越のゴルフ場に行き馬鹿仲間の晋三とゴルフ「外交」。昼がゴルフ場で好物のハンバーガーで夜も銀座で鉄板焼きだといふ。ステーキは焼き方はウェルダンでトマトケチャップつけて喰らふとは。