富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦九月初七。昼過ぎに郷里の母から楽しそな声で電話あり何かと思へば昨日の国立劇場での仁左衛門丈の亀山の仇討ちのこと。若いころから松嶋屋贔屓の母にとつて孝夫さんの芝居見物だけでも楽しいところだが昨日は開幕で大きな拍手で何かと思へば一回席から客が皆、上を眺めて拍手してゐて天皇皇后ご来臨だといふ。最後までご覧になつた両陛下、御殿から半蔵門出てすぐ近くとはいへお元気で何より。幕間に片岡の大奥様に母がご挨拶すると両陛下来臨の日でも気さくに親しく応じてくれたといふ。今週は月曜から三晩外出続いたが今晩だけは何もなくジムのトレッドミルで入ってから帰宅。自家製ハヤシライス頬張り早々に寝入る。
小熊英二先生は私の大変敬愛する論者だが今日の朝日新聞の論壇時評で「総選挙の構図「希望」が幻想だったわけ」これは必読(こちら)!晋三らのいふ「日本人は右が3割、左が2割、中道5割」で中道がどう動くか、は政治の大切な肝。小熊先生はこれが実際であること検証する。「右3割」は自公、「左2割」は広義のリベラル(共産党も含む)、「中道5割」は棄権を含む無党派として日本の有権者1億で右が3千万、左が2千万、国政選挙の投票率が50%台で「つまり「中道5割」の多くは棄権している」のだから「リベラル(2割)は必ず自公(3割)に負ける」わけで野党乱立なら尚更、と実に明解。2009年の民主党政権交代選挙では投票率は69%で棄権が3割。民主・社民・共産は選挙区で38千万、自公は28万で比率はざっと4対3(図1)で、これは「リベラル(2割)に無党派票(2割)が加わり自公(3割)に勝った形」となる。今回の選挙は当初、希望の優勢の報道が流れたが、それは図2(リベラル2、自公3、希望4)でこれには「投票率90%が必要」で、つまりそれは不可能であつた。都議選も分析すると(図3)小池ブームがけいして大きくなかつたが「勝てた」ことがわかる。

なぜ「希望」は過大評価されたのか。これはメディアの責任が大きい。維新が国政に出た時、東京のメディアは冷静にうけとめた。だが彼らは、自分の地元の東京で起きた小池ブームを相対化できず、東京で起きたことは全国で起きると誤断した。「永田ムラ」に密着している「報道ムラ」の記者は、永田町の現象を全国的現象と考えがちだ。小池の「排除」発言がなければ勝っていたという意見は、幻想に惑わされた「永田ムラ」と「報道ムラ」の責任回避だと思う。(略)
軽率だったのは、支持率調査さえ出ないうちに自滅行為に走った前原誠司だ。彼は民進党支持者が希望支持に移行すると考えたかもしれないが、あんな独断的なやり方で支持者が離反しないはずがない。(略)あるいは前原は、民進党内のリベラル派を切り、保守二大政党を実現する好機と考えたかもしれない。だがリベラル層を切りながら自公に勝つには図2の達成が必要だ。実際には、非自民・非リベラルの票を狙った維新や「みんな」、そして希望は、約10%の保守系無党派票を奪いあうニッチ政党にしかなっていない。
逆に立憲民主党の健闘はリベラル層の底堅さを示した。自公に勝ちたいなら、リベラル層の支持を維持しつつ無党派票を積み増す図1の形しかない。保守二大政党など幻想であることを悟るべきだ。

と歴史社会学者の小熊先生の分析は政治評論家を凌駕してしまつてゐる。
▼最近、毎日新聞「余滴」がとても面白いことに気づく。25日の5代目志ん生の話こちら)もいいが中共習近平体制についてのこちらも筆致の妙。

若手秀才官僚の王雲錦がある夜、親戚や知人とカルタをしていると突然1枚足りないのに気づき酒宴に変えた。翌日、参内すると皇帝から「きのうは何をしていたか」と聞かれたので、ありのままに答える。「内輪のことでもうそをつかないのはよろしい」。皇帝がそう笑って袖から出したのは、前夜なくなったカルタだった……この皇帝こそ清朝の第5代君主、雍正帝だった。次の乾隆帝の世、大清帝国の絶頂期の礎を築いた皇帝である。雍正帝は功臣や兄弟まで粛清してその地位を固めた後、官僚の党派根絶と腐敗摘発に強権を振るった。王雲錦の話も皇帝の監視能力を宣伝するために広めたらしい。その独裁体制の仕上げが知識人への言論弾圧「文字の獄」であった。18世紀の清は世界で突出した経済超大国だったのを思えば、何やら今の中国共産党習近平総書記のめざすところがダブって見える。「習1強」と評される人事を固め、自らの名を冠した指導思想を掲げる2期目の新体制が始動した。世紀半ばに「社会主義現代化強国」を築くとの目標を掲げた習氏である。つまり党独裁下で軍事も経済も世界第一級の先進国にするという。だが個の自由や多元的価値を単一の指導理念に押し込めて文明の「現代化」は果たせるのか。雍正帝は皇太子を立てずに、死後開封される勅書で跡継ぎを示す「太子密建」も創始している。後継者を示さぬ異例の人事も臆測を呼んだ習新体制だが、もしや後継を競わせ求心力を保つ才知も継承したのか。

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