富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

fookpaktsuen2017-02-13

農暦一月十七日。トランプと晋三の会談とゴルフに合はせ北朝鮮がご祝儀で新型ミサイル発射。なんて予定調和なのかしら。かりに北朝鮮がこの機会に沈黙守つたとしたら「北で何かが?」と察するところだが。体調芳しからず朝、養和病院で外来診察受けると思つた通りでGastroenteritisといふ診察。処方薬授かる。午後6時に外に出たらまだ明るくビクトリアピークが夕焼けに映えてゐる。だいぶ日が長くなつた。金鐘のWatson’s Wineで新西蘭はDog PointのSauv Bl 2016年と豪州のClonakillaのシラーズ2012年調達してMTRで太子驛。英国はExeterよりG夫妻来港。再会。賑やかな珠江酒家に飰す。四方山話。ご夫妻とご一緒で会ふのは1996年だかに渡英で当時は倫敦に住んでゐた二人と旧交温め、旦那のT君はその翌年だかに香港に寄られて以来。1990年には当時、豪州のPerthに住んでゐた二人を家人と尋ねたこともあり。そも/\最初の出会ひは1985年に7月のある晩三更に広州站の長距離列車の待合室(巨大な難民収容所の如し)で二泊三日!の北京行き列車待つなか長椅子の列にポツンと一人の西洋人のバックパッカーがゐて外国人の誼みで同じ貧乏旅行同士と声をかけ列車待つと乗車となり偶然に同じ車両の近くの寝台で意気投合しアタシが香港で調達したジャックダニエル飲みながら北京に着いた、 それが年上の友人たるT君。几帳面な彼は毎日、日記を丹念に綴つてゐたが、それをつい先日、メールで送つてくれた。1985年7月18日に彼が北京で綴つた日記によれば出会ひは7月14日だつた由。
An hour before departure time I met again that English-speaking railway policeman who enquired of prepositions and superlatives whilst guiding me through to a waiting room. A little after ten he he took me to train no. 19. A Japanese guy asked me if he could see my ticket to check he was boarding the correct carriage. He was. We boarded and found we had berths close to each other. He produced a bottle of Jack Daniel’s whiskey. His name is "F" and now, a few days later, we have become friends and travelling companions. F is from Sendai, north of Tokyo, and is on his way to the North East (of China). He is studying Japanese history and the provinces to which he is travelling were of significance, in particular, during the Second World War, and prior. F is carrying with him the 1936 diary of his grandfather, retrieved from the man’s kit-bag, found in a loft and unopened since the end of the war. It is one of the most beautiful documents I’ve ever seen, filled with local memorabilia including train tickets, cigarette covers etc., and written in those elegant Japanese characters, vertically. F is modelling his own diary of this journey on his grandfather’s.
日記といふのは本当に貴重な記録。さう/\祖父の残した従軍日記(といふか趣味の蒐集帳)をアタシは持参して旅行してゐたのだつた。北京でも彼の紹介で永定門火車站(現在の北京南站)近くの、当時はこの掘割をラクダがスイカを背に積んで歩かされてゐたものだが、外国人宿泊可の安宿に泊まり、天安門広場では今では考へられないことだが当時は北京でいちばんのんびりした広い、誰にも邪魔されない空間だつたので、その安宿のメールボックスに知人の旅人が彼に残していつたヘンなにほひの煙草を天安門広場で一服したり本当に何とものんびりした時代。王府井の横丁の、地面に窩を穿ゐただけの悪臭で鼻も曲がる公衆便所で兌換券を人民元と闇両替したりアタシが旅行する長春まで彼も来て夜汽車下りて(貧乏旅行者の分際で)旧大和ホテルでとてもシックな朝食を楽しんだり、北京に戻り莫斯科行きのシベリア鉄道に乗り込んだT君が人民元不足のアタシに人民元を調達してきてくれて長春站で本来は立ち入り禁止のホームにアタシが入り込んで窓から人民元を受け取つて米ドルを渡したり、何とも緩やかな時代。


⇧Jin Xingは本当にすごいと思ふ。子どもの頃からバレエで才覚を見せた男の子だつたが自分は女になりたいといふ願望あり中国では性転換は難しく、そこで選んだのが中国を捨てることではなく、バレエに研鑽を積み中国のトップダンサーとなること。その栄誉と知名度を勝ち取れば自分が何をしようと自分の決断を誰も邪魔することはできない、と。実際にそれを実現したのだから。原田治さんはほんと好きなイラストレーターだつた。80年代の全てが一番楽しかつた時代に、とにかく全ての羨望の的だつたアメリカのいゝところ(正確には日本人にとつてアメリカの一番いゝと思へるところ)を心晴れやかなイラストで表現してゐた。何かの記事でもう5、6年前だか最近の原田さんの生活ぶりが紹介されてゐて……さう/\Eamesの椅子のことだつた、原田さんは大島のアトリエ兼の自宅の椅子はすべてEamesださうで、それで原田治ノートといふ、それなりに頻繁に更新される日記をネット上で読んでゐた。ただ素敵なイラストを描く画家ではなく、原田さんのポリシーにかなり共感を覚へた。その日記が昨年11月にぷつりと更新が途絶えてしまひ、日記に飽きたはずもなからうし体調でも崩されたか……と気にはしてゐたが、まさかその月に急逝されてゐたとは。それが先週土曜日の新聞に。まだ70歳。今ごろあの世で仲良しのペーター佐藤安西水丸と再会してゐるのかしら。その原田さんの最後の日記より。

好きなアメリカの文化は、1950年代半ばから60年代半ばまでの、わずか十年間くらいのことかな。二十世紀のど真ん中。白人中心の「アメリカンドリーム」が実現した時代で、遥か海の向こうの超モダンな国として憧れ続けていた。美術、音楽、映画、デザイン、ライフスタイル、どれをとっても溌剌として輝いていた(食べ物だけはジャンクだが)。朝鮮戦争の終わりとヴェトナム戦争が始まるまでの、つかのまの平和な時代。世界でアメリカ白人だけが享受できたドリームというわけですね。
その夢から覚めて、70年代からのアメリカ白人文化は、凋落の一途をたどってきた。以来、軍事大国にはなったが、人心は荒廃した。いまや一般人が三億丁もの銃を持っているという恐ろしい国。人口は六割くらいが白人で、あとはヒスパニックや黒人その他およそ200種の民族が4割になっているそうだ。ほとんどが移民の、最大の多民族国家。じきに白人は半分以下に減っちゃうらしいが。
そのアセリが出たのか、今回の大統領選では過激な白人主義のトランプが選ばれたのでしょう。いわばドメスチックな民族抗争だね。日本のほうは、誰が宗主国の大統領になろうが、植民地であることには変わりない。いつもの忠犬アベ公です。早速トランプ様こそ、まさにアメリカンドリームではアリませんか!と電話でヨイショしていた。残飯ぐらいは期待できるのかもしれない。

まさに仰せの通り。これを昨年11月中旬にさらっと書いてゐて、そして亡くなつたとは……哀悼。

ぼくの美術帖 (大人の本棚)

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