富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

fookpaktsuen2017-02-05

農暦正月初九。もう春の心地よい気候。一昨日から右目に異物感あり所謂「ものもらひ」で昨晩それなりに目立つほど腫れたので散歩気分で養和病院の休日診療受け抗生物質入りの点眼剤と寝る時につけるペースト状の薬を授かる。正月休みではチェンマイで赤目だし続けて目を患ふとは。散歩のときもバスや地下鉄に乗っている時も騒音や大声の会話が不愉快なので音楽を聴いてゐなくても雑音消去でイヤフォンをしてゐる。Boseの雑音消去のイヤフォンにはお世話になったけどかなり傷んで、藍牙普及のコードレスになるとコードがやたら煩はしく感じる。しかもiPhone7でイヤフォンジャックがなくなって変換ケーブルもなんだか見苦しい。Boseはコードレスで雑音消去型も新発売だが首輪がやたら目立つのが何だか。アフリカの首飾りのやう、と検知かNさんと納得。雑音消去機能はないがフィトネス用のコードレスのイヤフォンで十分か。将来的には雑音消去型もコンパクトになるのかしら。ここ数日散歩すいてゐる。今日も午後遅く天気がいゝのでお散歩。Happy Valley崖上のBroadwood Roadではマンション住民がミニバス待つのに雨や熱射がひどいのも解るが公道の歩道に勝手に庇をつけてしまつていゝのか。香港スタヂアム隣の東華東院(医院)も本部建物正面玄関のバルコニーがやけに重たそう。建築U氏曰く「これだけのもち出しで梁にはハンチ無し、アンバランスなプロポーションのコーブルは文字通りお飾りで、おそらく分厚い腰壁に相当な配筋が仕込まれているんでしょう、と。大坑のClassifiedでぼんやりシードルと白ワインを飲む。隣卓の客がホットチョコレートを飲みながら当てにフレンチフライなのは見てゐるだけで胸焼け。帰宅して白身魚のグラタン風。白ワイン飲む。岩波『世界』1月号読む。

▼家人の話では太古の岡田屋で会津物産展をやつてゐるさうで(家人の父は会津の出なのだが)会津風評被害受けてゐるなか 懸命。だが「福島」を敢へて出さず「会津」で売つてゐても香港の市民など日本の地理には詳しいわけで会津福島県なのは承知で「福島」を出さぬことがむしろ「隠蔽してゐるのか」とすら思へないか。本当に難しいところ。いずれにせよ会津も含め産品が敬遠されてしまふ。
▼米国でトランプが総統に選挙され就任後のその言動に世界が一つ一つ驚いてゐるが何だかそれについていけない私。そして民主主義 ≠ 最善 であつて更に 民主主義 ≠ 平等 なのだといふこともよく心得ておくべき。トランプは変人だが民主的な方法で民主的に選ばれたのだから、あれも民意だろ。『世界』1月号で西谷修先生が書いてゐるのだが(アメリカのない世界)、冷戦後にイスラムテロといふ敵を作り上げ、その撲滅を戦争だとして(少なくとも冷戦での「対ソ」は戦争にまではできなかつた←実際に戦争になつたら攻撃されるから)、そして詐欺的金融市場に期待したが、対テロ戦争にも金融のマヤカシにも米国は疲弊して、その結果がコレ。もはや米国は世界に君臨せず「米国のない世界」を我々はもたなければいけないのに、それができない、だから騒いでゐるだけのことなのだ。
▼そのトランプに対してワシントン州の連邦シアトル地裁が入国禁止を一時差し止め決定。地裁の判決が国策に即刻影響与へるといふことが日本ではピンとこないところ。この提訴したワシントン州シアトル連邦地裁の司法長官曰く「現在の状況を踏まえると三権の中での役割を果たして介入すべきだとの結論に至った」と。これが中共だつたら即刻この地方の司法官は間違ひなく処罰の対象で行方不明である。


⇧この書評ではモンティパイソンを「お笑い界に革命を起こした伝説のグループ」と書いてゐるがモンティパイソンはけして「お笑い界」ではない。東京12チャンネルタモリのちょっと恥ずかしげなナレーションで当時ほんとうに面白かった。英国の階級もこのモンティパイソンの鬼才クルーズに言わせれば上流階級といふのは素晴らしく礼儀正しいのに「本心から好きなのは何かを追いかけて撃ったり、水から釣り上げて窒息させたりすること」が興味深い、と。彼にかかると貴族たちの狩猟や釣りもかうして野蛮にしか映らない。

テクノロジーは貧困を救わない

テクノロジーは貧困を救わない

⇧ただ貧しい人々や子供たちにパソコンを配布したりインターネットに接続できる環境を整えたりするだけでは期待したような効果は表れない。御意。増幅の法則。例えば「ソーシャルメディアが「アラブの春」をもたらした」という説があるが、もともと独裁政権に対する市民の不満があり政権に反対する組織が存在していたところでソーシャルメディアが反対勢力の影響力増幅の道具として利用され政権打倒につながった。ソーシャルメディアを与えれば民主主義が生まれるというものではない。意志や能力は技術によって増幅されるが根本となる意志や能力は技術によっては作れない。それは人々のなかにもともと備わっているもので、それを引き出すことができるのは身近にいる教師だけである。意志と能力のある受益者と熱意のある教師がいて初めて技術が貧困撲滅などに期待された効果を上げることができる。天安門前での軍用自動車の走行中の転覆事故あり。それを人民がネットに流したところ「編造、傳播恐怖虛假資訊」ということで警察に拘留された由。警察発表ではこの事故は「路面濕滑」で事故のあった場所は「国家博物館北側」で天安門に非ず、と。そこまでして公安を願ふか。