富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

先考十三回忌

fookpaktsuen2017-01-25

農暦十二月二十七日。快晴。旅寓の朝食は朝七時から。07:40に円タクで上野に向かつたら虎ノ門から新橋で少し道路は混雑したが首都高に入ると上野まですいすいで八時前に着いてしまつた。円タクの運転手が「首都高、土橋からで?」といふので「さうですね」なんて会話に家人が新橋ガードくゞつてすぐ左に、こんなところに路地のやうな首都高入り口あり土橋といふ地名は知らなかつた、と。八時半の上野始発の特急ひたち。常磐線は東京、品川に乗り入れになつたが、やはり上野駅の13番線からの下ホームが旅情があつて好き。昔は常磐線特急、急行のホームから下にオートバイ屋など眺められたが新幹線通つてからは今はもう17番線が最後。それでもやはり上野。車内の暖房どうにかならぬか。寒いでせう、寒いでせう、といはれるが蒸せ返るやうな暖房の中でコート着たまゝマフラーにマスクしたまゝ身体を丸める日本人がよくぞ酸欠で死なぬものだと思ふ。水戸につき母と妹の出迎へ受け真言宗豊山派のお寺で先考十三回忌法要。水戸といへば鰻だが贔屓の品川屋は水曜定休。昼にうなぎの東條。水戸の下市本町に本店あり何軒か分店あるが今日は赤塚の店。水戸の蒲焼はタレが濃くご飯もかなりタレがしみる。タレ少なめで、とお願いしたら、されなら二段のお重で、と蒲焼と白飯わかれて供され、確かにこれがいゝ。酒は水戸の一品辛口だがひとつも辛くない。銀行や郵便局の用事済ます。名古屋系の「こめだ」なる珈琲店に寄るが苦手。母妹と分かれ家人とJR赤塚駅から一駅先の水戸乗換へで一つ先の勝田。日没前に「ひたちなか海浜鉄道」で那珂湊経て阿字ヶ浦まで往復のローカル鉄旅。昔の湊線。すつかり日が暮れてしまひ那珂湊から平磯の東海灘を見渡せなかつたのは残念。勝田に還るとすでに20分ほど前に出てゐるはずの上りの特急がゐる。遅延ださうで牛久で架線事故のため、と構内放送。次の普通列車も遅れでるのか、と考へてゐたら「間違つて」一駅先の水戸までだが特急に乗つてしまふ。常磐線の特急は全席指定で車掌の検札があつたらアウトだが勝田〜水戸では幸ひ検札なし。これは事故である。事故といへば、この牛久での架線事故、今日は稀勢の里横綱昇進が決まり牛久では「祝稀勢の里関」なんて横断幕が風で飛んで架線事故か、と。母妹と待ち合はせ夕食のつもりが問題は常磐線で架線事故は午後遅くでもはや運転再開、このあとの上りの特急はほぼ時間通りだといふが下りは事故の影響で1時間余の遅延。それが折り返しとなる後続列車はまた遅延といふ。今晩東京に還る予定の家人はその70分遅れの下り列車が平駅でで上りとなるもの。こりゃまづいと1時間後の特急に乗変で駅ビルのインド料理屋で急いで夕食。帰宅してこの半年で注文した通販の戦利品を整理。スペインはメノルカ島のジン「ショリゲル」は原料がアルコールと水以外はジュニパーベルのみ。岩波書店斎藤秀三郎著『熟語本位 英和中辞典』で戦前の名著は戦後40年程前だかに絶版となり去年新版が出たが新字新かなで面白くない。それが1万円で昭和30年代の旧版が傷みなしで数千円で古書店でこちら求める。川窪万年筆にお願ひしてゐたOmasの万年筆の修理調整も戻つてくる。カシオの計算機S-100も入手。建築家Kさんよりいたゞいた京都は和九傳の羊羹「まどの雪」はさすが。