富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-01-10

農暦十二月初一。曇。午後から深圳に行き飲み会の予定が取り消しとなり日曜に官邸で書類整理。早晩に銅鑼湾。時代廣場前の「人民公社」といふ反共系書店&カフェに一度も足を踏み入れたことなかつたが一昨晩、新聞記者のM氏に此処は大丈夫……何がだ?、まだ反共本ずらりと聞いて寄つてみる。まぁ確かに話題の銅鑼湾書店より強烈。しかもカフェもあつて解放的で意欲的。此処が「まだ」やつてゐられるのに銅鑼湾書店がなぜ関係者5人も失踪なのか、当然、出版元としての「罪状」もあるのだらうが中共に狙ひ撃ちされた理由がわからない。この人民公社なる書店&カフェが潰されたら、もう香港はアトがない。旺角の田園書店など、どうなのかしら。蔡詠梅著『周恩来的秘密情感世界』も漸く入手。

▼一月五日の日剩に写真だけ掲載した巨大な毛沢東像。河北省開封の郊外に建造されたがネットで話題になり当局の批准受けてゐなかつた廉で取り壊し。現政権が領袖神格化、偶像崇拝に否定的といふ見方もあるが、ネットであれほど世界的に嗤はれなければ良かつたのかも。嗤はれてメンツ潰したからではないか。或いは、この偶像を破壊することでの何かの意味合ひも……ないか。
▼珍しく読売新聞を見ると五百旗頭真大先生の放談が1面に。

  • 安倍政権は近年珍しく安定した政権運営を続けている。衆院両院のねじれを解消し、首相官邸が一元的に指導力を発揮できる体制になった。首相を支える中枢として現実主義者の菅官房長官が各方面と調整にあたり、公明党がかつての中道野党的な役割を政権内で果たしている。

と書き出し。衆参両院の「ねじれ」は悪い状態ではない。むしろ二院制では当然のやうなもので「ねじれ」だから国会運営が上手くいかない=国政に障害=政権が安定しない……は妄想。官房長官の菅某が各方面との調整にあたり現実主義者の本領発揮してゐたら沖縄の基地問題はあゝならない。公明党は基本的には結党から中道野党的。いずれにせよ五百旗頭先生にとつては、こんな理想的な政治状況はいまだかつてなかつただらう。それでも

  • 憲法改正は考え方を変えてはどうか。自民党が両院で圧勝して3分の2以上の議席を確保し、全面改正するのは感心しない。誰が見ても不都合な条文や国民生活上必要な内容を各党の合意で改める。

といふ発言は、さすがの五百旗頭先生にとつても自民党の横暴は危惧するところか……だが感心するもしないも自民党単独で3分の2だとか憲法全面改正といふのは「わが世の春」の晋三ですら現時点で想定外、それはないだらう。そこで五百頭旗先生の提案は「まずは例えば私学助成を禁止した89条の見直しなどから入り一つ一つ協議と合意を積み上げていくべきだ」って、これこそ「お試し改憲」。これで憲法改正に慣れて……といふ発想だから、この人たちの目的を考へると怖いことばかり。
朝日新聞で好評の長谷部恭男&杉田敦の対談で正月は「改憲の初手?緊急事態条項は必要か」が面白い。晋三の憲法改正で大災害や戦争、テロといつた国民の不安に乗じて政府・国会の権限や議員の任期を定める緊急事態条項の新設を

  • 憲法に緊急事態条項がないと国民の安全を守れないといった主張には大いなるまやかしがある。

とばっさり。フランスやドイツでは……と比較されるが日本は十分に中央集権的なので立法が必要ならさっさと国会を召集すればいい、憲法に緊急事態条項を設ける必要はない、と長谷部先生が指摘すれば杉田先生曰く緊急事態が起きてから慌てゝ法律を作ってゐるやうではダメ、必要な法律は予め作っておけばよい、災害についてはすでに災害対策基本法があり首相は閣議にかけた上で「災害緊急事態」を布告し政令で緊急措置がとれるようになつてゐる。対テロのでは911の米同時多発テロを受けて自衛隊法が改正され自衛隊在日米軍の施設が攻撃される恐れがある場合には自衛隊が警護出動可。いずれにしても緊急事態には憲法ではなく法律で対応すべき。しかし憲法に緊急事態条項を設けて「国会の関与」明記しておかないと却つて首相や内閣の暴走を許してしまふといふ懸念も一部にはあり。だが、その懸念はむしろ逆、憲法に手をつける方が危ういと長谷部先生。

憲法に緊急事態条項を新設する意味があるのは最高裁判例が現在認めている以上に国民の基本的人権を制限する権能を、政府や国会に与える場合だけ。しかしそれはまさに嘗てドイツのワイマール憲法が採っていた制度でナチスに悪用されたことは周知の事実。緊急事態を理由に停止された基本的人権は元には戻らない。安倍政権の副総理は「ナチスの手口に学んだらどうか」と言った方ですが、そんな制度を本当に導入していいのかという話です。

日本国憲法には緊急事態条項がないのか?といへば憲法54条は「衆議院が解散されたときは参議院は同時に閉会となる。但し内閣は国に緊急の必要があるときは参議院の緊急集会を求めることができる」と謳ふ。それで十分といふのが憲法制定者の理解。緊急事態に際して法律を作る必要があるなら国会を召集する、衆議院が解散している場合は参院の緊急集会で対応すればいい。改憲派参院の緊急集会では不十分だと強調するのは「衆院議員の任期満了ギリギリに震災が起きたら選挙ができず任期切れで衆院議員がいなくなってしまう」から「憲法で任期を特例的に延ばすことができるよう定めておかなければならない」で改憲の初手は任期の問題に絞るといふ意見すらあるが戦時中の1942年も総選挙をあり、そも/\なぜ「緊急事態が起きた時に国会議員がいないと困る」を強調するのか、が不思議。緊急事態が起きたら首相や内閣が今ある法律を使つてなんとか対処するしかない、事が起きてから、「あ!この法律をすぐに作らないと対処できない!」といふことが本当にあるのか。かりにさうだとしたら、そんな穴に気づかずに放置していた政府や国会の能力的欠陥であり憲法の欠陥に非ず、と。非常事態、緊急事態にばかり注目して国民の基本的人権を制限していくと通常の生活までもが圧殺されかねぬ。

日本で、必要性が乏しいにもかかわらず緊急事態条項を憲法に置きたいのであれば裁判所の権限の根本的な強化をあわせて憲法改正に盛り込み「統治行為論」を無効化しなくてはなりません。同時に、最高裁の裁判官人事への政治介入を防ぐための措置も検討されるべきです。憲法に「内閣で任命する」としか規定されていない現状のまま首相や内閣に非常大権的なものを与えるわけにはいきません。

▼跟白先勇談情:為愛還淚還債(蘋果日報こちら
愛情有兩面,可以使你極端的歡愉,也可以使你極端的悲傷。為愛情流得最多眼淚嘛,男孩子平常從來不哭,是硬漢嘛,為愛情也會流眼淚。我想也流過吧,也流過,我想大部份人都為愛情流過眼淚,有時候是感動,有時候是悲傷,可以喜、可以悲。還淚還債。