富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

上海の日曜日

fookpaktsuen2015-11-29

農暦十月十八日。午前中小雨。朝はホテルでのんびり。十時半くらゐに部屋をきれに片づけ退房、荷物預け出街。国際ホテル横の黄河路は行列の出来る飲食店いくつかるが今日の時間が読めず、どーでもいゝ重慶牛肉麺で腹拵へ。南京西路をとにかく西へ歩く。南京東路の歩行者天国はとても歩く気がしないが西路は人混みといふほど人出もなく歩きやすいし風景がいゝ。道路が広くなつたり狭まったりも面白い。それにしても再開発で一本裏の通りなど昔からの低層の集合住宅取り壊され無残。上海代表するケーキ屋の凱司令西餅で名物のクリーム菓子「軟牛利」頬張る。七元。向かひの徠卡専門店で辛亥革命100年記念の徠卡M型など眺める。今日の散歩コースなら旅行にライカ持ってくれば良かつた、と思はされる上海の銀座のやうな南京西路だが、銀座と同じで高級ブランド店が並び、恒隆広場など巨大高級モールが立ち並ぶ。日曜の昼だといふのに高級ショッピングセンターの客足はさっぱり。消費は著しく落ち込んでゐる。殊に豪奢品は全くといつていゝほど売れてゐない。静安寺。アタシが1980年代の前半に訪れたころは宗教活動の開放がやつと実施された当時で上海代表する古刹のこの寺も文革期の荒廃のまゝで寺廟や庫裡が点在するばかり。それが今では豪華絢爛な大規模寺院に。この「再開発」は何なのか。拝観料50元(外国人料金にあらず)。中も絢爛豪華なだけの、何処にでもありさうな観光寺院に。この寺の建立は紀元247年にまで遡り唐代には永泰禅院、宋代の1008年に静安寺といふ名になり……で1953年に持松法師が院内に密教の伝場を開き1983に宗教活動が対外的に開放されたといふ説明。英語では文革中の損害にも触れてゐるが中文は触れず。いずれにせよ持松法師が当時、中国で廃れてしまつてゐた唐密を習得するため高野山で修行し密教を持ち帰り……といふことは一切触れず(富柏村日剩昨年七月十五日の記述、こちら)。これぞ都合のいゝことだけ、の歴史修正主義。院内には持松法師の用ゐた法器や遺書展示した記念堂があるらしいが参観中はそのこともすっかり忘れてゐた。地下鉄で「新世界」へ。本当に乗り換への不便な上海メトロ。旧フランス租界で現存の建物群に洒落た飲食店やブチックなど集め……で今の中国のどこの都市にもありがちな都市開発の中の、まさにこれが共同租界のやう。期待通り?何も楽しくない。周囲は路面に高級ブランド商店、ショッピングセンターでオフィスビルと集合住宅のコンプレックスが立ち並ぶ。地下鉄で人民公園。公園を抜け黄河路に還る。時間が少しあつたので佳家湯包で行列に並ぶ。上海名物の小籠包の名店。注文が入ってから包子を蒸すので店の回転は悪く待たされるが、それでも即包、即蒸の小籠包は実に美味。客はみな慎重に熱い小籠包の薄皮を少し破り、そこからスープを(まさに湯包で)まず啜り、少し冷えたところをがぶりと頬張る。これが今日の上海の最後。国際飯店のベーカリーも朝からずっと長蛇の列。パンは買つて香港に持ち帰るわけにもいかず断念。地下鉄で龍陽路站。リニアに乗り換へ空港。香港に還るフライトは半時間ほどの遅れの由。ラウンジで飲みうと/\。フライトで本読むつもりが睡魔に犯され気がつくと香港。